亀山郁夫批判

「些細なことながら、このようなニュアンスの違いの積み重ねによって読者は、少しずつ、しかし確実に原典から遠ざけられて行く。」その一六

5-(18)-2 つづけます。 「勝手にわたしを見るがいい、とあなたはおっしゃっている。それじゃ、あなたご自身は、どんなふうにその人たちをごらんになるのです?」(ドストエフスキー「チーホンの庵室で」 亀山郁夫訳「現代思想」四月号増刊「総特集=ドス…

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5-(18)-1 さて、「現代思想」四月号増刊「総特集=ドストエフスキー」(青土社)のすごいところをちょっとだけ ── しかし、長くなりそうな予感がして嫌なんですが ── 解説しますか。 目玉はやっぱり最先端=東京外国語大学学長=亀山郁夫大先生による、…

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5-(17) いやー、今日やっと買ったんだー。出たのは知ってたんだけどさー、「現代思想」4月号増刊「総特集=ドストエフスキー」。亀山郁夫+望月哲男の責任編集だよー。 それで、ちょっとだけ読んでみたんだけど、すごいぞー。 どうすごいかっていうと、そ…

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5-(16) 高村薫が感染し、村上春樹も、柴田元幸も、ロシア文学の学者たちも、さらには、出版社や新聞社やテレヴィ局などのマスメディアや、それからまた多くの読者や、もちろんこの私も感染している「ペスト」について ── 翻訳に不満がないわけではないで…

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5-(15)- 3 ── ごくごく控えめに、私の怒りのほんのわずか一部だけを ── 敢えて乱暴ないいかたをしてみるなら ── 破裂させてみましたが、それはさておき、もう一度高村薫です。 極端なことを言えば、私にとって小説はストーリーではない。文体でつくられる…

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5-(15)- 2 高村 七月にお目にかかったときに、何に驚いたかといって、ドストエフスキーはもともと悪文で、どのようにも翻訳できるのだ、とお聞きしたことです。 亀山 ものすごく気分屋なんですね。癲癇症状の末期と分かるような文体が時々現れる。一文の…

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5-(15)- 1 雑誌「文学界」(文藝春秋)二月号での「新春特別対談」は、題して「カタストロフィ後の文学 ── 世界と対峙する長篇小説」。対談したのは高村薫と最先端=亀山郁夫。このふたりが対談したのは二度め(最初が毎日新聞社主催で二〇〇九年七月。こ…

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5-(14) 朝日新聞(二〇一〇年一月三十一日)の「本の舞台裏」という記事にこうありました。 名著の新訳はプロに ヘーゲルの『精神現象学』(長谷川宏訳)、ドストエフスキーの『罪と罰』(亀山郁夫訳)など、ここ10年ほど古典名著の新訳出版が活況を呈し…

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5-(13) 昨年十二月に放映されたテレヴィ・ドキュメンタリー「ベストセラー解剖学〜「1Q84」とベストセラーの変遷〜」(wowow)の最後は、番組内でそれまでに発言していた十数名に対する「あなたにとってベストセラーとは?」への各人の回答でした。 …

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5-(12) ここで、この問題のまたべつの側面。「権威」とされているテレヴィだのラジオだの新聞だの雑誌だののマスメディアにはまだまだ大きい影響力があるにせよ、実は、その力は確実に低下してきてもいます。インターネットが登場したからです。 松沢呉一…

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5-(11) またも、おさらいです。 この一連の文章の最初で、私は光文社文芸編集部編集長駒井稔を「大馬鹿者」といい、こう書いたんでした。 それとも、彼はこう考えているんでしょうか? 読者なんてどうせ馬鹿だから、誤訳だらけの新訳であろうが、彼らが喜…

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5-(10) さて、「順応の気構え」のできたふつうのひとたちにとっては、この最先端=亀山郁夫問題が単に「表面的な(つまり、些細な)誤訳」問題としか受け止められていないんですね。彼らは、個々の誤訳さえ正されれば、それでいいというくらいにしか思っ…

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5-(9) 私はいっておきますが、テレヴィだとかラジオだとか新聞だとか雑誌だとか、そんなものをあんまり無条件に ── 「権威」として ── ありがたがるのはもうやめましょうよ。これを私がいいます。まさかこの人生で自分がテレヴィだとかラジオだとか新聞…

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5-(8) さて、「ある空漠たる恐怖に捕えられ」 ── です。 私はここで大西巨人の『神聖喜劇』から長い引用をします。その前にちょっとだけ説明(そしてまた引用)しておきますが、この作品の主人公=語り手である東堂太郎は、軍隊の初年兵教育のはじめに経…

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5-(7) しかし、その「引用」──「ある空漠たる恐怖に捕えられ」── の前に佐藤優。彼の最近の発言(二〇〇九年十月刊)から。 亀山郁夫氏の訳は、従来の訳に較べ、格段と正確でかつ読みやすい。実は神を信じていないドストエフスキーの本心が透けて見える…

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5-(6) こう考えてくると、そんな哀れな最先端よりもずっと罪深いひとたちがいることがわかりますよね。つまり、たとえば、NHKであり、東京外国語大学であり、村上春樹です。その他にもたくさんなんですが、きりがない。 で、NHK。そのなかに、もう…

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5-(5) 最先端=亀山郁夫批判の難しさというのは、こういうことです。まず、『カラマーゾフの兄弟』という小説(最先端=亀山郁夫訳以外。なぜなら最先端=亀山郁夫訳は偽物だから)を読んだことのあるひとが非常に少ない。しかも、そのひとたちの大半は…

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5-(4) 私の停滞のせいで、もうすでに古い話題としか受け止めてもらえないかもしれないんですが、しばらく前からネット上では話題になっていた ── 「アニリール・セルカン経歴詐称、業績捏造の追求 blog」(http://blog.goo.ne.jp/11jigen/e/51dea8f84d63…

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5-(3) おさらいします。 私がこの一連の記述を通して批判しているのは ── 一 亀山郁夫自身 二 亀山郁夫と仕事をした編集者たち 三 その編集者たちを抱える出版社・放送局 四 書評、インタヴュー等で亀山郁夫を称揚するひとたち 五 そうした書評、インタ…

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5-(2) 大西巨人の作品から引用。 その夜そのあとの雑談の中で、また義人は、「各人の弱みや卑劣さをたがいに薄ぎたなくいたわり合って衆を恃むような消極的連帯」ではなく、「ひとりですっと立ってゆ」く各人の積極的連帯が出来上がらなければならない、…

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5-(1) たまたま最近になって、これを読みました。中央公論新社のホームページです。 中公文庫『文学的パリガイド』お詫びと訂正中公文庫『文学的パリガイド』(二〇〇九年七月二十五日刊行)のなかで、以下の誤りがありました。読者の皆様にご迷惑をおか…

(二八)「些細なことながら、このようなニュアンスの違いの積み重ねによって読者は、少しずつ、しかし確実に原典から遠ざけられて行く。」その一六

4 このところ、私が十月に書いた「村上春樹と『カラマーゾフの兄弟』」という記事へのアクセス ── キーワード「村上春樹」「カラマーゾフの兄弟」の組み合わせで検索サイトから ── が多いので、コメント欄に追加の文章を書きました。次の通りです。一 私は…

(二八)「些細なことながら、このようなニュアンスの違いの積み重ねによって読者は、少しずつ、しかし確実に原典から遠ざけられて行く。」その一六

3 これまでに私は何度も、自分の最先端=亀山郁夫批判にうんざりしていると書いてきました。でも、この批判はつづけなきゃいけない、とこれも同じく繰り返し書きました。しかし、私は停滞してしまいました。その理由のいくつかを書いてみます。 まず、私が…

(二八)「些細なことながら、このようなニュアンスの違いの積み重ねによって読者は、少しずつ、しかし確実に原典から遠ざけられて行く。」その一六

2 ここで飛び入りの原稿を挿みます。この数日、「連絡船」の以前の記事(二〇〇九年二月三日 http://d.hatena.ne.jp/kinoshitakazuo/comment?date=20090203#c110093162)のコメント欄でおもしろいことがあったので、こちらに転載しておきます。 なお、転載…

(二八)「些細なことながら、このようなニュアンスの違いの積み重ねによって読者は、少しずつ、しかし確実に原典から遠ざけられて行く。」その一六

1 六月にかなり長い文章(その一三)を公開してから ── ときおりの短い文章は書きましたが ── 、だいぶ空白の時間をつくってしまいました。なぜこんなことになったかを含めて、いろいろなことを書いてみようと思います。 この後につづくいくつかの文章のあ…

「連絡船」の一読者へのメール ***さま 私はあなたが亀山問題を理解していないと思います。 おそらく、あなたは単にこれが亀山郁夫個人の問題だと考えているのじゃないでしょうか。私が彼を直接説得し、彼が非を認めさえすればいい、と。そのためには、私…

『1Q84』についての村上春樹へのインタヴュー。(http://mainichi.jp/enta/art/news/20090930dde018040006000c.html) 最も偉大な作家として敬意を払ってきたドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』も引用されている。「『カラマーゾフの兄弟』は好き…

私の恐れていたことが着々と進行中のようですね。あなたはとうとう『悪霊』の翻訳にかかっているらしい。ついさっきネットでこの情報を読んで、声をあげてしまいました。最悪です。いったいどこまでドストエフスキーの作品を愚弄したら気がすむのか? 亀山さ…

(二四)「些細なことながら、このようなニュアンスの違いの積み重ねによって読者は、少しずつ、しかし確実に原典から遠ざけられて行く。」その一五

これを引用しておきます。 それは扠置き、『森と湖のまつり』を「ドストエフスキー的」と呼んだ山本ほかの面面は、「ドストエフスキー的」という表象によって、たとえば次ぎのようなことをでも空想しているのであろうか。 ── 作中の人物および事件は、日本人…

ぜひお読みください。とても有益です。 http://www.ne.jp/asahi/dost/jds/dost133.htm だいぶ以前に書きましたが(http://d.hatena.ne.jp/kinoshitakazuo/20081002#p1) ── 、 ── イプセン作戯曲『民衆の敵』最終第五幕の幕切れで、主人公の医師ストックマン…