航行記

(六)「その通りです」

話しても無駄だと承知しているくせに、また話して、ひどい徒労の感覚に包まれるんですね。何の話かというと、この「連絡船」の主題であるはずの ── 作品に「よい・悪い」はある、それを自分の「好き・嫌い」とごっちゃにしてはいけない。 ── についてです。 …

(五)ハロルド・ピンター『何も起こりはしなかった』

昨二〇〇七年三月発行のこの本を、つい先日ようやく自分の勤める書店で立ち読みした(それまでこの本を知りませんでした)のは、これと同じ集英社新書でのノーム・チョムスキーの数冊を確認しようとしているときだったんですね。私はまだまともにチョムスキ…

(四)マーラー『交響曲第七番』

私がここしばらく繰り返し聴いているのが、マーラーの交響曲第七番の第三・第四・第五楽章(バーンスタインの指揮によるニューヨーク・フィルの演奏、一九八五年録音)── つまりは、この二枚組CDの二枚目 ── なんですが、およそ三十五年間聴きつづけている…

(三)辻邦生『春の戴冠』

この四月より、辻邦生の『春の戴冠』が中央公論新社から四巻の文庫版で出版されます。初の文庫化です。この作品は、まず、一九七七年に新潮社から上下二冊(函入り・本にはパラフィン紙の巻かれている)の単行本で、その後、一九九三年に岩波書店の「辻邦生…

(二)「ナゼナラ、オレハ自分ガソウイウコトヲスル人間ダト、コレマデ思ッテミタコトモナイカラ!」

二十五歳(一九八八年)で、私は最初の ── 二年間勤めた ── 就職先を辞めたんでした。当時、私がしきりに読み返していた文章は次の通りです。ちょっと解説しておきますと、語り手は父親になったばかりの男 ── 以前にプルトニウム被曝を経験しています ── で…

(一)今後二十五年間の仕事

「航行記」と名づけて二〇〇六年三月からここまで二年間書いてきた文章を「第一期」として、ここからを「第二期」としますが、いまの私のつもりからすると、これは単純に文章の一定分量とか二年間という時間を区切りとするということではありません。これ以…

(一六)

スザンネ・ビア監督の映画『ある愛の風景』を観ました。この監督の作品は、ちょっと前に『アフター・ウェディング』を、二〇〇四年には『しあわせな孤独』を観てもいて、今回もそのつながりで観たんです(もっとも、『アフター・ウェディング』は『しあわせな…

(一五)

さて、前回のあまりにも引用の分量の多い ── 私自身のことばのあまりにも少ない ── 文章のつづきを書きながら、自分で違和感をおぼえ、自分でいらだっています。私はどうやらあれらの引用をまるで他人事のように、ただ撒き散らした・放り出した・ぶちまけた…

(一四)

前回、私はキルケゴールの名を引いて、アリョーシャ・カラマーゾフの「謙遜な勇気」といいましたが、それはこういうことなんです。 いまここに一人の貧しい日傭取りと史上に類のない程の強大な権力をもった帝王とがいるとする。この無上の権力をもった帝王が…

(一三)

ちょうど二十歳になる直前のぎりぎりのところで、私は、ドストエフスキーの最後の長編小説群を『罪と罰』、『白痴』、『悪霊』、『カラマーゾフの兄弟』の順 ── これは書かれた順・制作順でもあります ── で読み、この体験はそれから四半世紀を過ぎようとす…

(一二)

大西巨人『神聖喜劇』の語り手、昭和十七年はじめに初年兵教育を受けている東堂太郎は軍の上官に睨まれる・嫌われる・うっとうしがられる(睨まれざるをえない・嫌われざるをえない・うっとうしがられざるをえない)ような人物で、そのために、彼の言動はい…

(一一)

問題 ── 次の文章を読んで、後の設問に答えなさい。 この家はおそらく( )倒壊する家の一軒になるだろう(おそらく、その時私はまだこの家の中にいるはずだ)。チャーノとラウロの家は倒れたし、フアン・フランシスコとアシンの家の思い出と壁は雑草と潅木…

(一〇)

カート・ヴォネガットの『国のない男』(NHK出版)── 出るなりすぐに買って読みました ── ですが、訳者は金原瑞人。なぜ(早川書房でなく)NHK出版なのか? なぜこの訳者なのか? なぜ浅倉久志や飛田茂雄じゃないのか? まずは、そして、読みながらも…

(九)

ヴァレリー『ムッシュー・テスト』を紹介した後で、この数か月に私が読んでいた・再読していた本 ── ジョン・クラカワー『荒野へ』、大西巨人『未完結の問い』・『深淵』・『三位一体の神話』、カート・ヴォネガット『国のない男』など ── についての原稿が…

(八)

最近に大西巨人の『深淵』(光文社 上下二巻)の再読を終えた ── いまは『三位一体の神話』を再読中です ── んですが、上巻の終わりの方に、こういう文章があります。 ── イプセン作戯曲『民衆の敵』最終第五幕の幕切れで、主人公の医師ストックマンは、「独…

(七)

ここしばらくで、ようやくこの一年あまり ── 実は、そんなふうに自分で考えているよりもっと長い年数になるかもしれませんが ── に自分のいた・押し込められていた・引きこもっていた場所から脱することができたかもしれないという気がしはじめています。や…

(六)

私がときおり思い出すことばに、こういうのがあります。 「ぼくはこの世界で自分が正当に権利を主張しうるものは、なにひとつなくなってしまった、という風に感じていたのさ」(大江健三郎『個人的な体験』 新潮文庫) この彼のことばを聞いた女性が彼にこう…

(五)

筒井康隆の『巨船ベラス・レトラス』(文藝春秋)を読みました。 ここでは、私はこの作品の全体を紹介するというのでなく、ある部分についてのみしゃべってみようと思います。 登場人物である作家が文学とそれをめぐる状況について非常に妥協的 ── というこ…

(四)

先の東京都知事選(二〇〇七年四月八日 立候補者十四人)で、約一〇二三万の有権者のうち、投票者は約五五六万人(投票率は約五十四パーセント。前回は約四十五パーセント)。当選した石原慎太郎(七十四歳・三選)は約二八一万票を獲得。以下、浅野史郎(五…

(三)

さて、少し前にも妻に「世のなかのひとたちは、あなたのような読みかたをしないんだよ」といわれたんですが、たしかにその通りだろうなと思います。しかし、いいんですよ、それで。私が望みをかけているのは、そんな大多数のひとたちなのではなくて、ほんの…

(二)

ほぼ二か月前に「はじめに」の改稿を終えて、それでもまだまだ自分のいい損なったこと・いい足りないこと・いいえなかったことの多さを感じています。もしかしたら、この先も私は延々改稿しつづけていくことになるのじゃないかという予感があります。しかし…

(一)

サイトの更新がずっと滞ったままですが、私がこの企画のことを一日も忘れたことのないこと、それどころか、始終考えつづけていることをいっておこうと思います。まあ、その結果がこれなんですけれど。「はじめに」をいまの形にするまでに一年を要しているわ…

(一三)全部の作品を押さえるなんてことをばかにしていて、しかも、偏向を旗印にしている者の読書案内 自己紹介のつづきでもあるかと思いますが、ここでまた引用を ── けれども私は、人生に何か注文を出すという考えになじめませんでした。むしろ、偶然に自…

(一二)「何を読んだらいいかわからない」などと思ったことは一度もない いま考えているのは、ひとつには作品ごとの「読書案内」ですが、もうひとつ、べつの、ある意味身辺雑記ふうの文章のなかに「読書案内」を織り込む形です。この両面からホームページを…

(一一)どんな立場であろうが、いうべきことはいわなくてはならない それにしても、こうやって書き手や読み手のレヴェルの低さをいいつづけてきた私に向けての、「そういうことはいうものじゃない、そういうことをいうのは下品だ、賢明なひとはそういうこと…

(一〇)作品は読者のためにあるのではない 少し前に私は『夏の砦』(辻邦生)を例にあげながら、こういいました。「こういう描写のある作品ならば、当然本も厚くなるでしょうし、ページも文字で埋め尽くされたようなものになるでしょう」。 もう一度その「…

(九)「作品にすらなっていない」もの ある作品を「よい」と評価するひとは、必ずそうでない作品を知っています。そのひとは作品を評価するなにがしかの基準をもっています。それで、その基準が埒外にはじき出すものが必ずあります。ここでの「そうでない作…

(八)「読書案内」の方法 それで、こんなに長々と前置きをすることになるとは思っていなかったんですが、これから私がやろうとしている「読書案内」の方法について簡単にいっておこうと思います。 具体的に作品名をあげて ── 辻邦生『夏の砦』(文春文庫)─…

(七)これは退却戦か? これは退却戦か? という疑問も当然予想されます。わかりません、と私は答えるしかありません。わかりません、わかりません、わかりません、というのが、私の主題のひとつでもあるでしょう。 トーマス・マンをちょっと引用してみます…

(六)書店員による「手書きPOP」 どれだけのひとがそう思っているかわかりませんが、本の売りかた(書店のする・出版社のする・取次のする)ということで「『白い犬とワルツを』以降」といういいかたができるのじゃないか、と私は危惧します。あれ以降、…