亀山郁夫批判

「自尊心の病に憑かれた」辻原登にアリョーシャは見えない

二〇一七年二月、『辻原登の「カラマーゾフ」新論 ドストエフスキー連続講義』が出た。発行は亀山郁夫訳『カラマーゾフの兄弟』の光文社。本の帯には「小説家だからこそ見抜ける“不朽の名作”の真実! 文学講義の名手が贈る4つのレクチャー」とある。「Lectu…

映画『ハンナ・アーレント』

映画『ハンナ・アーレント』を観ました。そこでハンナ・アーレントはこういいます。 ソクラテスやプラトン以来、私たちは<思考>をこう考えます。自分自身との静かな対話だと。人間であることを拒否したアイヒマンは人間の大切な質を放棄しました。それは思…

亀山郁夫批判全文PDF

遅ればせながら、亀山郁夫批判のPDFを更新しました。 http://www.kinoshitakazuo.com/kameyama.pdf 文庫のページ数に換算すると、1446ページ分の分量になります。もしFirefoxでご覧になって、ファイルが文字化けしてしまった方がいらしたら、…

【悲報!】亀山郁夫作の小説『新カラマーゾフの兄弟』

「いいかい、見習い僧君、この地上にはばかなことが、あまりにも必要なんだよ。ばかなことの上にこの世界は成り立っているんだし、ばかなことがなかったら、ひょっとすると、この世界ではまるきり何事も起らなかったかもしれないんだぜ」(ドストエフスキー…

なぜあるひとたちの目には最先端=亀山郁夫批判が醜悪に見えるのか?(6)

── 再び「連絡船」の一読者へのメール(この章は一昨年、二〇一二年八月十四日に書き上げていたものです) これもだいぶ以前に引用しました。 「ウンコはカレーではない」ということを説明するのが、なぜこれほど困難なのか。(純の◆姫林檎◆日記 http://www.…

なぜあるひとたちの目には最先端=亀山郁夫批判が醜悪に見えるのか?(5)

── 再び「連絡船」の一読者へのメール(この章は一昨年、二〇一二年八月十四日に書き上げていたものです) やや話がそれますが、右の事情がまさに『カラマーゾフの兄弟』読解ということで私の書くことの今後の重要な主題になります。あなたの「もう少し突き…

なぜあるひとたちの目には最先端=亀山郁夫批判が醜悪に見えるのか?(4)

── 再び「連絡船」の一読者へのメール(この章は一昨年、二〇一二年八月十四日に書き上げていたものです) また、あなたの「肥大した自尊心がどういうものかを理解しつつ、自分がどうなのかを検討し、自分はとり憑かれていないと結論を出し公言しているもの…

なぜあるひとたちの目には最先端=亀山郁夫批判が醜悪に見えるのか?(3)

── 再び「連絡船」の一読者へのメール(この章は一昨年、二〇一二年八月十四日に書き上げていたものです) さて、あなたは私について「人を踏みにじるのはいけない、人に悪意をぶつけてはいけない、それをわかっている人」であり、「人の悲しみや思い込みに…

なぜあるひとたちの目には最先端=亀山郁夫批判が醜悪に見えるのか?(2)

── 再び「連絡船」の一読者へのメール(この章は一昨年、二〇一二年八月十四日に書き上げていたものです) さて、右のようなひとたちのことを、あるいは、こういってもいいでしょう。修練を積んでいないひとたち、未熟なひとたち、初心者たち …… 。 ── と、…

なぜあるひとたちの目には最先端=亀山郁夫批判が醜悪に見えるのか?(1)

── 再び「連絡船」の一読者へのメール(この章は一昨年、二〇一二年八月十四日に書き上げていたものです) あなたが「民主主義者であることと知識人であること」の複雑さと責任の大きさとを過小評価しているはずはありません。では文化の問題、具体的に文学…

さあ、東大・沼野教授と新しい「読み」の冒険に出かけよう!(6)

(この章は一昨年、二〇一二年九月三十日に書き上げていたものです) (追記) 「立場」が人間よりも上にあるような社会なので、「立場」を守るということが何よりも優先され、「立場」を守るためには何をしても許されます。 その代表的な例が、福島第一原子…

さあ、東大・沼野教授と新しい「読み」の冒険に出かけよう!(5)

(この章は一昨年、二〇一二年九月三十日に書き上げていたものです) この「亀山郁夫現象」といわれるもののなかでいちばん性質(たち)の悪いのが、沼野充義のような「専門家」です。 なぜ一般の読者が最先端=亀山郁夫の仕事に騙されるのか? その読者に読…

さあ、東大・沼野教授と新しい「読み」の冒険に出かけよう!(4)

(この章は一昨年、二〇一二年九月三十日に書き上げていたものです) そうして、沼野充義がこれに乗っかります。 沼野 それはさておき、亀山さんが取り上げた『罪と罰』で「ラザロの復活」が読まれる場面に、話題を戻しましょうか。 これはとても大事な、『…

さあ、東大・沼野教授と新しい「読み」の冒険に出かけよう!(3)

(この章は一昨年、二〇一二年九月三十日に書き上げていたものです) 沼野 亀山さんには、ドストエフスキーの話を始めるといくらでも話すことがあるはずですが、きょうは他の場所であまり話していないことにむしろ焦点を当てていただきたいとお願いしてあり…

さあ、東大・沼野教授と新しい「読み」の冒険に出かけよう!(2)

(この章は一昨年、二〇一二年九月三十日に書き上げていたものです) 沼野 ただし、ドストエフスキーの魅力がここでいきなり発見されたわけではなくて、やはり強調しておきたいのですが、日本では亀山訳以前にドストエフスキー翻訳の長い歴史があり、多くの…

さあ、東大・沼野教授と新しい「読み」の冒険に出かけよう!(1)

(この章は一昨年、二〇一二年九月三十日に書き上げていたものです) 間違っていると知っていても、間違ったことをやってのける、人間のその能力にも私は驚いています。(スーザン・ソンタグから大江健三郎への書簡 木幡和枝訳大江健三郎『暴力に逆らって書…

卑怯者=野崎歓の醜悪(2)

そうして、野崎歓、こう書きます。 亀山さんのドストエフスキー翻訳、および研究の際立った特徴は、アカデミックな冷静さをほとんどかなぐり捨てるような勢いで、作家の核心に踏み込むと同時に、そこに自分自身の人生の謎を解く鍵を探り当てようとするところ…

卑怯者=野崎歓の醜悪(1)

先の松岡正剛が「馬鹿」であるなら、こちらの野崎歓は「卑怯者」で、その文章は醜悪の極みです。信じられないくらいです。もちろん、この野崎歓はあの野崎歓 ── 例の『赤と黒』の翻訳者です。 光文社古典新訳文庫から野崎歓訳で『赤と黒』の新訳が出た(上巻…

「名訳」だそうです。松岡正剛の読解力では。(2)

(この章は昨二〇一三年十二月七日に書き上げていたものです) 最先端=亀山郁夫訳を「どきどきしながら読める」「名訳」だといい切ってしまった松岡正剛、さらに、最先端=亀山郁夫訳『カラマーゾフの兄弟』全五巻を一冊ずつ紹介していきます。恥の上塗り。…

「名訳」だそうです。松岡正剛の読解力では。(1)

(この章は昨二〇一三年十二月七日に書き上げていたものです) 私は以前にこう書きました。 あなたの周りに亀山訳『カラマーゾフの兄弟』を読んだというひとがいたとしますね。そのひとが読んだものは、実は『カラマーゾフの兄弟』ではないのだと私はいいま…

最先端=亀山郁夫の「使命」とやら(4)

(この章のほとんどは昨二〇一三年六月までに書き上がっていて、放ったまま、ほぼ一年が過ぎ、このひと月くらいでいくらかの加筆をして、切り上げました) そうして、さらに恥の上塗り、それを相手にする小説家・辻原登との傑作対談。 亀山 『カラマーゾフの…

最先端=亀山郁夫の「使命」とやら(3)

(この章のほとんどは昨二〇一三年六月までに書き上がっていて、放ったまま、ほぼ一年が過ぎ、このひと月くらいでいくらかの加筆をして、切り上げました) 翻訳前と翻訳後で何か変わったことはありますか。 『カラマーゾフの兄弟』の翻訳をすることは、ロシ…

最先端=亀山郁夫の「使命」とやら(2)

(この章のほとんどは昨二〇一三年六月までに書き上がっていて、放ったまま、ほぼ一年が過ぎ、このひと月くらいでいくらかの加筆をして、切り上げました) 次は今年(二〇一三年)二月のある記事から。これには適宜突っ込みを入れながらの引用をします。 亀…

最先端=亀山郁夫の「使命」とやら(1)

(この章のほとんどは昨二〇一三年六月までに書き上がっていて、放ったまま、ほぼ一年が過ぎ、このひと月くらいでいくらかの加筆をして、切り上げました) 今年(二〇一三年)四月の産経新聞から、文章の全体を引用。 亀山郁夫(名古屋外国語大学長) 苦行の…

卑怯者=沼野充義の『これからどうする』(3)

(この章は昨二〇一三年十一月二十八日に書き上げていたものです) そうして、沼野充義はこう結びます。ただの「作文」です。全部他人事です。 しかし、考えてみると、「文学の危機」をめぐるこの種の言説はいまに始まったことではない。文学とは常に「〜の…

卑怯者=沼野充義の『これからどうする』(2)

(この章は昨二〇一三年十一月二十八日に書き上げていたものです) 「これからどうする」と問われても、正直なところ、何もどうにもならないのではないか、という無力感をぬぐい去ることができない。第一線の若手として頑張ってきたつもりが、気がつけばいつ…

卑怯者=沼野充義の『これからどうする』(1)

(この章は昨二〇一三年十一月二十八日に書き上げていたものです) では、次、沼野充義の文章 ── 「未来の世界文学の場を創る」。もちろん、こちらもいくつかに分割はしていますが、全文を引用しています。 「これからどうする」と問われても、正直なところ…

最先端=亀山郁夫の『これからどうする』(4)

(この章は昨二〇一三年十一月十八日に書き上げていたものです) しかし、驚くのはまだ早いです。最先端=亀山郁夫がこの後どうつづけてこの文章全体を結んでいるか? 問題は、私たち文学者が、いま欧米中心型の教養知の再生のために何ができるか、というこ…

最先端=亀山郁夫の『これからどうする』(3)

(この章は昨二〇一三年十一月十八日に書き上げていたものです) では、次。 教養が教養であるには、何より、それを共有することの価値が認識されなくてはならない。かりに、教養知のシンボルの一つとされるシェークスピアを読んだ経験があるとして、その話…

最先端=亀山郁夫の『これからどうする』(2)

(この章は昨二〇一三年十一月十八日に書き上げていたものです) さて、次。 今から約三年前(ということは、東日本大震災の前のことである)、日本とポルトガルの修好一五〇周年を祝う記念式典に招かれた私は、急ごしらえのスピーチでこんな話をしたことが…