(二八)「些細なことながら、このようなニュアンスの違いの積み重ねによって読者は、少しずつ、しかし確実に原典から遠ざけられて行く。」その一六




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 このところ、私が十月に書いた「村上春樹と『カラマーゾフの兄弟』」という記事へのアクセス ── キーワード「村上春樹」「カラマーゾフの兄弟」の組み合わせで検索サイトから ── が多いので、コメント欄に追加の文章を書きました。次の通りです。

一 私はもう二十年ちかく村上さんの作品を読んできた読者です。ある時期まで、村上さんは、私にとって、新作が出たなら読むことにしている少数の作家のひとりでした。このブログのべつの場所にも書いていますが、『カラマーゾフの兄弟』 ── 私は初読からこの二十五年以上の間に何度も読み返してきました ── についても、村上さんの小説を通してあれこれ考えたりもしていました。まず、そのことを理解してほしいんです。村上作品を知らずにいて、単に上のインタヴューだけを問題にしているのではありません。村上作品を読みつづけてきた読者だから、彼にがっかりしたといっているんです。
二 翻訳者としての村上さんを私は高く評価しています。
三 『カラマーゾフの兄弟』の亀山郁夫訳は本当にひどいです。この事実は動かせません。これについてはもう一年半ほど、私は大量の批判文章を書きつづけています。亀山訳『カラマーゾフの兄弟』はドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』ではありません。亀山は原作のすじすら理解できず、登場人物それぞれの個性はもちろん、彼らの関係すらわかっていないまま、でたらめな訳をしています。『カラマーゾフの兄弟』を亀山訳以外で読み、感動したことのある方になら、私の批判文章は納得しうるものであると考えています。「自己陶酔」(コメント欄では、あるひとから私の文章がこう評されました)なんかじゃなく。
四 翻訳者として優れている村上さんには、実は亀山訳の実質がわかっているはずです。あるいは、村上さんのこれまでの『カラマーゾフの兄弟』読解が、私の考えていたよりもかなり低いレヴェルだったか。どちらかです。
五 亀山以外の訳で『カラマーゾフの兄弟』を読んだことのないひと、また、私の延々つづいている批判文章の全体を読んでいないひとは、このコメント欄に書き込む資格がありません。
六 また、書き込む資格があるひとも、私が問題にしていることについて、あなた自身がどう考えているのかを必ず書いてください。単に村上さんが間違うわけがないなどというコメント、「まずは村上ありき」というコメントではなく、あなた自身がどう考えるかです。これもべつのところで書きましたが、あなたが村上ファンであっても(いや、あればあるほど)、常にあなたは村上作品を疑いながら読まなくてはなりません。あなたの疑いにもかかわらず、それを村上さんが粉砕してくれたなら、そのときこそその作品は素晴らしいんです。

 というわけで、私はこう考えています。村上さんも誤ります。誤った村上さんのせいで亀山訳を読みはじめてしまうひとの増えることを、私は危惧しているんです。

 私は村上春樹さんご本人にも、はっきりとした回答がいただきたいと思っています。上のインタヴューでは彼の真意がまだつかみかねますから。

 村上さんと並んで柴田元幸さん(私はこのひとの翻訳も素晴らしいと思っています)も同じです。

以上