2008-01-01から1年間の記事一覧

(一七)「些細なことながら、このようなニュアンスの違いの積み重ねによって読者は、少しずつ、しかし確実に原典から遠ざけられて行く。」その九

4 さらにつづけます。 ここで何よりも注目したいのは、イワンとスメルジャコフがめざしたのが完全犯罪であり、イワンに対しては未必の故意の嫌疑がかけられうるという事実です。十九世紀後半のロシアの裁判ないし陪審制という観念のなかで、未必の故意がど…

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亀山郁夫訳『カラマーゾフの兄弟』についてのこの一連の文章 ──「些細なことながら、このようなニュアンスの違いの積み重ねによって読者は、少しずつ、しかし確実に原典から遠ざけられて行く。」── もだいぶ長くなりました。前々回に書いたように、文庫本の…

(一七)「些細なことながら、このようなニュアンスの違いの積み重ねによって読者は、少しずつ、しかし確実に原典から遠ざけられて行く。」その九

3 つづけます。亀山郁夫はNHKテキストでこう書いています。 「親父を殺したのはおまえか!」とのイワンの問いに、スメルジャコフは「殺したのはぼくじゃありません、それは、あなたがちゃんとご存知のはずです」と答えています。つまり、主犯はイワン、…

(一七)「些細なことながら、このようなニュアンスの違いの積み重ねによって読者は、少しずつ、しかし確実に原典から遠ざけられて行く。」その九

2 さて、そういうわけで、次に私が問題にするのは、同じ視点から、今度は「愛」でなく、「罪」です。『カラマーゾフの兄弟』における個々の登場人物の「罪」というのが、キリストを前にした「罪」だ、ということでしゃべります。おわかりでしょうが、これは…

(一七)「些細なことながら、このようなニュアンスの違いの積み重ねによって読者は、少しずつ、しかし確実に原典から遠ざけられて行く。」その九

1 さて、「その四」・「その六」で、私は『カラマーゾフの兄弟』におけるキリストの位置・意味を問題にしました。「その人自身、あらゆる人、あらゆるものたちのために、罪なき自己の血を捧げた」がゆえに「すべてのことに対してありとあらゆるものを赦すこ…

(一六)「些細なことながら、このようなニュアンスの違いの積み重ねによって読者は、少しずつ、しかし確実に原典から遠ざけられて行く。」その八

一連の文章のつづきは、もちろんいまも書き進めているんですが、まだ公開まで時間がかかるため、ここで合間に引用を三つ。 一つめ。 若い世代が古典に親しめるような工夫が必要だ。 今年、夏目漱石や森鴎外の小説を収めた文庫本が、現代の人気漫画家らによる…

(一五)「些細なことながら、このようなニュアンスの違いの積み重ねによって読者は、少しずつ、しかし確実に原典から遠ざけられて行く。」その七

1 今月発売の文春新書『なにもかも小林秀雄に教わった』(木田元)を私が購入したわけは、著者がキルケゴールとドストエフスキーについて書いているからなんですね。実はここしばらく、私はネット上で「木田元」・「キルケゴール」・「ドストエフスキー」の…

(一四)「些細なことながら、このようなニュアンスの違いの積み重ねによって読者は、少しずつ、しかし確実に原典から遠ざけられて行く。」その六

1 前回(=その四 ── 余計な「その五」が割り込んでしまいましたが、本来はこちらが「その五」になるはずでした)、キリストは個々の「人間の顔」を愛するのだ、彼の愛は「人類全体」に向けられるものではなく、生身のひとりひとりの人間それぞれに向けられ…

(一三)「些細なことながら、このようなニュアンスの違いの積み重ねによって読者は、少しずつ、しかし確実に原典から遠ざけられて行く。」その五

今回はちょっと寄り道をします。とりあえず、ひとこといっておきたいんです。これについてはまた今後いろいろしゃべっていくつもりです。 NHKテキスト(カルチャーアワー 文学の世界)「新訳『カラマーゾフの兄弟』を読む」が発売になりました。番組は、…

(一二)「些細なことながら、このようなニュアンスの違いの積み重ねによって読者は、少しずつ、しかし確実に原典から遠ざけられて行く。」その四

1 前回(=「その三」)で、『カラマーゾフの兄弟』について私は「こんな機会でもなければ・こんな馬鹿な読みかたの見本さえなければ、私がこの作品についてここまであれこれしゃべることはなかっただろうと思うんです」といいましたけれど、「あなたじゃな…

(一一)これから初めて『カラマーゾフの兄弟』を読むひとのために ── 亀山郁夫による新訳がいかにひどいか

1 ここしばらく私は、光文社古典新訳文庫の亀山郁夫訳『カラマーゾフの兄弟』がいかにひどいかということを書きつづけています。もしあなたがこれから初めて『カラマーゾフの兄弟』を読んでみようと考えているなら、この訳でなく、新潮文庫の原卓也訳になさ…

(一〇)「些細なことながら、このようなニュアンスの違いの積み重ねによって読者は、少しずつ、しかし確実に原典から遠ざけられて行く。」その三(後)

4 「あのね、アリョーシャ、笑わないでくれよ、俺はいつだったか、そう一年くらい前に、叙事詩を一つ作ったんだよ。もし、あと十分くらい付き合ってくれるんなら、そいつを話したいんだけどな」「兄さんが叙事詩を書いたんですか?」「いや、書いたわけじゃ…

(一〇)「些細なことながら、このようなニュアンスの違いの積み重ねによって読者は、少しずつ、しかし確実に原典から遠ざけられて行く。」その三(前)

「その三」は二回に分けてUPします。 1 ここまで、亀山郁夫訳『カラマーゾフの兄弟』について ── 基本的にはアリョーシャの「あなたじゃない」を巡って、その周辺だけを、ですが ── もうだいぶしゃべってきたわけです。私がこの翻訳の「あなたじゃない」の…

(九)「些細なことながら、このようなニュアンスの違いの積み重ねによって読者は、少しずつ、しかし確実に原典から遠ざけられて行く。」その二(後)

4 さて、前回の文章を書いた後で、私は亀山郁夫の「解題」をまたぱらぱらとめくっていて、こういう記述 ── これのせいで、今回の文章がこうまで長くなってしまったんですね ── を見つけたんでした。イワンとスメルジャコフとの対面についてです。 三度目の…

(九)「些細なことながら、このようなニュアンスの違いの積み重ねによって読者は、少しずつ、しかし確実に原典から遠ざけられて行く。」その二(前)

1 あらためてお断りしておきますが、私は亀山郁夫訳『カラマーゾフの兄弟』の全体を読んでいません。それどころか、私はただこの翻訳におけるアリョーシャとイワンの会話「あなたじゃない」という第四巻中の箇所を読んでみたにすぎません。それ以前にも自分…

(八)「些細なことながら、このようなニュアンスの違いの積み重ねによって読者は、少しずつ、しかし確実に原典から遠ざけられて行く。」その一

木下豊房による「亀山郁夫訳『カラマーゾフの兄弟』を検証する ─ 新訳はスタンダードたりうるか ─ 」(http://www.ne.jp/asahi/dost/jds/dos117.htm)を読むことは非常に有益です。ここでは、ドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』ロシア語原文と当該箇…

(七)翻訳の問題 ── 新訳『赤と黒』、『カラマーゾフの兄弟』

六月八日の産経新聞によるネット配信記事を読みました。「スタンダール『赤と黒』新訳めぐり対立「誤訳博覧会」「瑣末な論争」」(http://sankei.jp.msn.com/culture/academic/080608/acd0806080918004-n1.htm)です。 光文社の古典新訳文庫中の『赤と黒』(…

(六)「その通りです」

話しても無駄だと承知しているくせに、また話して、ひどい徒労の感覚に包まれるんですね。何の話かというと、この「連絡船」の主題であるはずの ── 作品に「よい・悪い」はある、それを自分の「好き・嫌い」とごっちゃにしてはいけない。 ── についてです。 …

(五)ハロルド・ピンター『何も起こりはしなかった』

昨二〇〇七年三月発行のこの本を、つい先日ようやく自分の勤める書店で立ち読みした(それまでこの本を知りませんでした)のは、これと同じ集英社新書でのノーム・チョムスキーの数冊を確認しようとしているときだったんですね。私はまだまともにチョムスキ…

『蟻の兵隊』と『延安の娘』、DVDに

池谷薫監督の二作品 ──『蟻の兵隊』と『延安の娘』── がついにDVDで発売になります。 どちらも素晴らしいので、ぜひご覧ください。蟻の兵隊 [DVD]出版社/メーカー: マクザム発売日: 2008/07/25メディア: DVD購入: 1人 クリック: 83回この商品を含むブログ…

(四)マーラー『交響曲第七番』

私がここしばらく繰り返し聴いているのが、マーラーの交響曲第七番の第三・第四・第五楽章(バーンスタインの指揮によるニューヨーク・フィルの演奏、一九八五年録音)── つまりは、この二枚組CDの二枚目 ── なんですが、およそ三十五年間聴きつづけている…

(三)辻邦生『春の戴冠』

この四月より、辻邦生の『春の戴冠』が中央公論新社から四巻の文庫版で出版されます。初の文庫化です。この作品は、まず、一九七七年に新潮社から上下二冊(函入り・本にはパラフィン紙の巻かれている)の単行本で、その後、一九九三年に岩波書店の「辻邦生…

NHK ETV特集「神聖喜劇ふたたび」

前の記事にコメントをいただいたので、簡単ではありますが、もうすこし書いてみます。 私があの番組に不満を感じるのは、たとえば、「東堂太郎=大西巨人」という図式に乗っかって、『神聖喜劇』を大西巨人の体験記ででもあるかのように扱ったことです。 ま…

NHK ETV特集「神聖喜劇ふたたび」

NHK「ETV特集 神聖喜劇ふたたび」の録画 ── 私は放送時間には職場にいましたから ── をいま観終えたところです。 懸念したとおり、ナレーションでも大西巨人の生年と年齢が間違っていました。繰り返しますが、彼は一九一九年八月生まれで、現在八十八…

NHK ETV特集「神聖喜劇ふたたび」

先日ここで書いた四月十三日放映のNHK「ETV特集」について、たとえば「Yahoo!テレビGガイド」には現在こういう紹介文が掲載されています。おそらく、この文章はNHKが原稿を書いて、様々のテレビガイドに提出しているはずだと思うんですが、…

(二)「ナゼナラ、オレハ自分ガソウイウコトヲスル人間ダト、コレマデ思ッテミタコトモナイカラ!」

二十五歳(一九八八年)で、私は最初の ── 二年間勤めた ── 就職先を辞めたんでした。当時、私がしきりに読み返していた文章は次の通りです。ちょっと解説しておきますと、語り手は父親になったばかりの男 ── 以前にプルトニウム被曝を経験しています ── で…

NHK ETV特集「神聖喜劇ふたたび」

四月十三日(日)夜十時からの「NHK ETV特集」が ──「神聖喜劇ふたたび・作家・大西巨人・原点への旅」 自身の対馬での軍隊体験▽陸軍内部の理不尽さをあぶりだす▽神聖喜劇の不条理な世界 ほか ── であることをついさっき知りました。

(一)今後二十五年間の仕事

「航行記」と名づけて二〇〇六年三月からここまで二年間書いてきた文章を「第一期」として、ここからを「第二期」としますが、いまの私のつもりからすると、これは単純に文章の一定分量とか二年間という時間を区切りとするということではありません。これ以…

いま、あることを考えはじめていて、これまでの原稿にも手を加えつつ、新しい原稿をも書きつつあります。このブログの最初に書いた「本拠地としてのホームページ」作成にも手をつけています。もうしばらくお待ちください。