話しても無駄だと承知しているくせに、また話して、ひどい徒労の感覚に包まれるんですね。何の話かというと、この「連絡船」の主題であるはずの ──
作品に「よい・悪い」はある、それを自分の「好き・嫌い」とごっちゃにしてはいけない。
── についてです。
この話をしていると、結局、例の「ひとそれぞれ」という理屈、「趣味・嗜好」という理屈での反論が来るわけです。
それから、こうなります。
「作品の「よい・悪い」がわかるというおまえは、それほどに作品を読み解く力があるんだな?」
私はこう答えざるをえません。
「その通りです」
おそらく、その通りだと思っていながら、「その通りです」といえないひとがほとんどだと思います。そういうひとの、優しさとか思いやりとか、謙遜とか、自信のなさ、傲慢に対する恐れとか、いろいろいいかえはできると思いますが、それをもう私は面倒くさいと思っているんです。ここでことばを濁したってしかたがなかろうにと思うんです。そうしないと、全然先へ進めないじゃないですか。
ここで「その通りです」といえないようなひとにどうして「読書案内」ができるでしょうか?
(二〇〇八年五月二十九日)