(一五)「些細なことながら、このようなニュアンスの違いの積み重ねによって読者は、少しずつ、しかし確実に原典から遠ざけられて行く。」その七



   1

 今月発売の文春新書『なにもかも小林秀雄に教わった』(木田元)を私が購入したわけは、著者がキルケゴールドストエフスキーについて書いているからなんですね。実はここしばらく、私はネット上で「木田元」・「キルケゴール」・「ドストエフスキー」の組み合わせで検索をしていたんです。数年前、あるいは十数年前に、岩波文庫の小冊子だったのじゃないかと思いますが ── 私はそれを持っていません ── 木田元キルケゴールドストエフスキーの「注解書」として読んだという内容の文章があったのを覚えていたからです。私は亀山郁夫訳『カラマーゾフの兄弟』批判のこの一連の文章で、何度もキルケゴールの『死に至る病』を引用することで論を進めてきました。これは、以前にもいいましたが、そもそも私が『死に至る病』を ── 金をもらって友人(ミッション系大学学生)のレポートを代筆するために ── 読んで大きい衝撃を受けた後にドストエフスキーの最後の長編小説群を読んだせいで、両者が分かちがたくなっているからなんです。ドストエフスキーを読んだとき、私は「あ、これはキルケゴールだ」と思ったんですね。だから、いまはうろ覚えの木田元の文章を読んだときには、彼が何をいっているのかすぐにわかりました。また、木下豊房は私の文章について「キルケゴールの「死に至る病」を引用して、イワンの「不幸な意識」の構造を説明しているのは、正しいし、国際的なドストエフスキー研究者の場で発表しても評価に耐えうる視点である」といってくれてもいます。
 しかし、私はキルケゴールドストエフスキーがいったいどういうつながりでこんなことになっているのか、わからずにいました。

 この新刊で木田元はこう書いています。

 接点がないドストエフスキーキルケゴール
 さきほどもちょっとふれたように、そのうち私はキルケゴールの『死に至る病』をドストエフスキーの作品の注釈として読むという妙なことをはじめた。
 妙なことといったのは一八一三年にコペンハーゲンに生まれ、五五年にその地で歿したデンマークの思想家キルケゴールと、一八二一年に生まれ八一年に歿したロシアの作家ドストエフスキーのあいだには、十九世紀の同時代に共にヨーロッパの辺境で生きたという以外に、どちらかがどちらのものを読んだというような関係はまったくないからだ。キルケゴールが著作活動をおこなったのは一八四三年から五〇年代前半にかけてであり、それはデンマーク語でおこなわれたため、二十世紀の初頭に独訳が出されるまでデンマーク以外ではほとんど知られることがなかったし、一方ドストエフスキーが精力的に著作活動をおこなうのは一八六〇年代、七〇年代である。影響関係などなくて当然であろう。
 だが、二人とも一時期中央ヨーロッパに出かけ、信仰が世俗生活に完全に溶けこんでしまっているプロテスタント文化に絶望して故国に帰り、キルケゴールは原始キリスト教を、ドストエフスキーロシア正教を拠りどころにしてその批判的克服を念じたという共通点があるせいか、この二人の思想には深く通低するところがある。たとえば、キルケゴールの言う〈死に至る病〉とは〈絶望〉のことであるし、ドストエフスキーの言う〈悪霊〉つまりルカ伝で言われている〈悪鬼に憑かれたりし人〉というのも、絶望した青年たちのことであるにちがいない。だからこそ、『死に至る病』をドストエフスキーの注釈として読み、ドストエフスキーの小説を『死に至る病』で展開されている絶望の類型学・形態学の例証として読むことができるのである。私は、いまだにこの読み比べをかなり有効な思いつきだったと思っている。

木田元『なにもかも小林秀雄に教わった』 文春新書)


 つづく文章のしばらく後に、木田元はこう書きもしています。

 こんなふうに多少の牽強付会を恐れずに対比させていくと、まるでキルケゴールドストエフスキーの作品の登場人物一人ひとりの心理分析をしてくれているように思えてくるし、逆にキルケゴールのかなり抽象的な「哲学的」表現がドストエフスキーの作品によって具象的に図解され、理解しやすくなるように思えてくる。

(同)


 私も同じように両者を読んできたと思います。それでも、私にはこの読みかたが特異だとは思われなかったんですね。むしろ、研究者の間でもごくふつうの読みかたなのじゃないかという認識でいたんです。どうもそうではないらしいですね。
 しかし、トーマス・マンの『ファウストゥス博士』で、ニーチェをモデルにした主人公が悪魔と対話 ── もちろん『カラマーゾフの兄弟』を踏まえて、です ── する直前まで読んでいたのはキルケゴールの著作でもありました。もっとも、どうやらマンもこの作品の執筆時に初めてキルケゴールを読んだのらしいんですが。



   2

 さて、私はまだ『なにもかも小林秀雄に教わった』のごく一部しか読んでいませんが、一箇所誤りを見つけました。私の想像では、これは著者木田元の誤りではなく、編集者が誤り、校正者もそれに気づかなかったということでしょう(おそらくこの本は、大きい章立ておよび章題は著者自身、各章内の小見出しは編集者によるものだろうと私はにらんでいます)。私は、自分の勤める書店を担当している文芸春秋の営業に電話をして、これを告げました(十月二十一日)。今後、重版がかかれば訂正されると思います。

 木田元による文章はこうです。

 ……という徹底したエゴイズムに立てこもる「地下室の人間」であろうとするドストエフスキートルストイと対比し、善悪の彼岸に身を置こうとするニーチェをそのドストエフスキーの哲学の後継者として捉えてみせるシェストフのこの評論……

(同)


 ところが、この文章の小見出しはこうなっています。

 ドストエフスキーニーチェの後継者と捉えたシェストフ


 さかさまです。ぎょっとしましたよ。最初は、「またか!」と思ってしまいました。しかし、おそらく木田元は悪くありません。
 なぜ私が「またか!」と思ったのかといえば、こうです。話は「集英社新書」に移ります。この件について私は集英社に連絡をしていません。

 先日、私はまた怒りを通り越して、やりきれなくなったんですが、それというのも、私は自分の勤める書店で加賀乙彦の『小説家が読むドストエフスキー』(集英社新書)をぱらぱらとめくっていて、こういう文章に行き当たったんですね。

 この考え方の一番の中心になっていた哲学者が「神は死んだ」と言ったニーチェです。ニーチェの超人思想は近代的自我が最も肥大した形で出てくるもので、ドストエフスキーニーチェからの引用というか、ニーチェの影響を大きく受けていて、たとえば『悪霊』の……


 この本は、加賀乙彦が朝日カルチャーセンターで行なった講義をもとに作られたらしいんです。悪いのは加賀乙彦なんですが、それより私が怒りを覚えたのは、この本の編集者に対してですよ。こんなひとが集英社で編集をやっているわけです。彼は、ただ「加賀乙彦先生」の原稿をありがたくいただいて、それをそのまま印刷に回しただけです。原稿内容はノーチェックです。加賀乙彦のでたらめは野放し状態です。ちょっと調べればわかることなんですよ。というか、そもそも、こんなこともわからない人間がこの本の編集者だというのがおかしい。いや、ドストエフスキーをまったく読んでいないひとがこの本の編集に携わるということもあるでしょう。しかし、それならそれで少しは勉強しないんですか? あるいは、著者と突っ込んだ対話をしないんですか? 編集者本人もちんぷんかんぷんなまま仕事をするんですか? 何も知らない読者は、へえ、ドストエフスキーニーチェの影響を受けているのか、と信じてしまいます。そういうことへの想像力も、注意力もない。彼はただ加賀乙彦に「原稿ありがとうございます」といっただけです。
 ドストエフスキー(一八二一 ─ 一八八一)の『罪と罰』(一八六六)、『悪霊』(一八七一)、『カラマーゾフの兄弟』(一八八〇)という年代的事実に対し、ニーチェ(一八四四 ─ 一九〇〇)のいわゆる「超人思想」がどのあたりからのものかというと、一八八〇年以降なんですよ。ニーチェドストエフスキーを知っていましたが、逆はありません。



   3

 いったい、編集者の仕事というのは何なんでしょうか?

 約一年半に及んだこの翻訳が完成にいたるまで、わたしは多くの方々のお世話になっている。ロシア語のわからない部分を教えてくださったエレオノーラ・サブリナ先生、ガリーナ瀧川先生をはじめ、読書ガイドや解題の執筆のための資料集めをしてくださった方々にお礼を言わなくてはならない。東京大学大学院でロシア教育史を研究され、現在、北海道大学スラブ研究センターで研究員をつとめる青島陽子さんにはとくにお礼を述べたい。映画字幕のいまや押しもおされぬ大御所・太田直子さんにもこの場を借りてひとことお礼を述べておこう。「餓鬼(がきんこ)」の訳語の発案者は彼女である。さらにドストエフスキーの熱烈な愛読者である若い友人の近澤雅也君には、二十代の目から私の訳がどう見えるか、語彙の選択の点でさまざまなアドバイスと工夫を仰ぐことになった。
 また、このあとがきの場を借りて、「古典新訳文庫」全体の責任者であり、翻訳の貴重なチャンスを下さった駒井稔編集長にも重ねがさねお礼を述べたい。同氏の驚くべき博識と熱意に、この途方もない翻訳に向かうわたしの意志は固まった。また、わたしの住む町まで朝早くから原稿をとりに足を運んでくださった名編集者、今野哲男さんにも感謝を述べたい。お名前はあげないが、献身的な努力を惜しまなかった校閲の現場の方々にも、印刷所の方々にも、ひとことお礼申し上げたい。
 そしてわたしがいま、だれにもまして感謝の気持ちを伝えなくてはならないのが、本書の編集担当者である川端博さんである。この一年半、真夏日のロードレースにも似たつらい作業のなかで、文字通り、喜怒哀楽をともにしてくださった川端さんのあたたかい伴走がなければ、こうして制限時間内に無事ゴールにたどり着けたかどうか、はなただ心もとない。翻訳が、いかに社会的責任を伴うものだとはいえ、この仕事だけは恐ろしい苦しみとストレスを伴った。正直のところ、自分の能力の限界との戦いだったのである。苦あれば楽ありのたとえではないが、それでもやはりかけがえのない一年半だった。原稿の受け渡しのたびに交わしあう『カラマーゾフの兄弟』論は、それだけでも優に新書二冊分ぐらいの中身の濃いものだったはずである。こうして川端さんとの楽しい語らいをとおして、わたしはいつしかこんな夢を見るようになった。
 日本のどこかで、だれかが、どの時間帯にあっても、つねに切れ目なく、お茶を飲みながら、あるいはワインを傾けながら、それこそ夢中になって『カラマーゾフの兄弟』を話し合うような時代が訪れてほしい、と。

亀山郁夫「訳者あとがき」)


 ここに名前の挙がっているひとたち ── 駒井稔と川端博を除いて ── は、これでいいんですか? 自分の協力した仕事がこんなものだったことに驚愕・仰天しないんですか? 亀山郁夫に抗議するなり、自分の名前の削除を要求したりしないんですか?

 また、「恥知らずの大馬鹿者」駒井稔はともかく、直接の編集担当者川端博は『カラマーゾフの兄弟』について「優に新書二冊分ぐらいの中身の濃い」話をしたって、いったいどんな話をしたんですか? 大審問官の話を聞いていたのは、やっぱりキリストの僭称者に違いありませんよねえ、なんてうなずいていたんですか? アリョーシャのキスは犯罪ですよねえ、なんて目から鱗が落ちる思いだったんですか? おかしいと思わなかったんですか? 訳者を誤ったという認識はなかったんですか? おかしいおかしいと思いながらも、駒井稔に「いいからやれ」といわれつづけていたんですか? 

 そして亀山郁夫。「翻訳が、いかに社会的責任を伴うものだとはいえ」って、誰がそんなことを考えているんですか? あなたじゃありません。考えていたら、訳を引っ込めるしかないでしょう。まして『罪と罰』に手をつけたりなんかできません。

 さらに十月十九日付け朝日新聞に掲載された光文社による全面広告 ── 亀山郁夫訳『カラマーゾフの兄弟』と『罪と罰』!

 ドストエフスキー甦る
 彼が恐れていたのは、神なき世界の訪れであり、
「神がなければすべては許される」のひとことは、その不安の証だった。


 ── なんですか、これは?

 そこに文章を寄せている佐野洋子関川夏央高橋源一郎辻原登沼野充義の五名にはまったく失望しました。なかでただひとり、高橋源一郎だけが直接に亀山訳に触れていないんですが、もし彼が亀山訳にこだわらずにただ「ドストエフスキーの読者」が増えさえすれば何でもいいと考えていたのであれば、五名中最も罪深いですね。

 私は以前(初稿は二〇〇六年三月)にこう書きましたっけ。

 このごろは書店員を「本読みのプロ」なんてふれこみで宣伝に使う出版社も少なくありませんが、書店員が「本読みのプロ」のわけがないでしょう。いや、そもそも「本読みのプロ」っていったいなんなんですか? こういう安易な形で書店員を称揚するメディアを信じてはいけません。
 結局のところ、本を読むことのできるひとと、できないひととがいるというだけじゃないでしょうか? 書店員のなかにも本を読むことのできるひとと、できないひととがいる、というだけのことです。これは、本の宣伝(帯や広告などで)に協力している、名の知られた作家や文芸評論家にも当然にいえることで、このひとたちのなかには、おそらく、ゲラを読むことを承諾した時点ですでに、その作品が駄目な場合でも仕事を断わらない(断わるなど思いもしない)、つまり、自分は「この作品を褒めてください」といわれたから褒めるのだ、というひとがいますね。あるいは、そんなのは優しすぎる見かたで、ほんとうは駄目な作品を見抜くことすらできないのかもしれませんが。そういうひとたちの、こちらがあきれ返ってしまうような文章が氾濫しています。

(「航行記(第一期)」(四))


 ── という具合で、亀山訳『カラマーゾフの兄弟』をめぐっての出版・放送界に潜む問題も、実は確信犯的なものではなくて、単に業界人の低レヴェル化による当然の帰結なのかもしれない、と私は考えざるをえないわけです。
 いま私が思い浮かべているのは、次の文章です。

 大庭宗昔の約四十年前に発表したエッセイ『批評の射程』中に、左のような一節がある。

 [前略]
 今日の特徴もしくは問題は、次ぎのような諸事情にある。
 その一は、「文芸物をその間にちょいちょい」的作者[下等作者]たち、その近似的作者たち、ひいては「近年の傑作」六十点内外の作者[中等作者]たちが、七十点台ないしそれ以上の小説制作者[上等作者]と彼ら自身を錯覚していかねない ── 表向きは、いちおうともあれ、内実は、大いに錯覚している ── という有様である。
 その二は、大膨張した読者群の相当な部分が、そういう作者らの妙な錯覚的自信をそっくりそのまま承認・支持している、というような動向である。
 その三は、妙な錯覚的自信の根拠が、主としてその作物の量産、その売れ行きの量的優勢、その映画・テレヴィ・ラジオ化、そこから来る収入の多大にある、という状態である。
 その四は、そのような状態の中で、世俗の金持ち崇拝・貧乏人蔑視的な風潮が、文学世界にもようやく行き渡り、作家・作品の価値が、専門家相互の間でさえも、ただに仕事量と収入との多寡によって計られかねない、というような意識的ないし無意識的な傾向である。
 その五は、ジャーナリズムないしマス・コミュニケーションが、「巨大」とか「強力」とか「圧倒的」とか「支配的」とかの形容詞を常に「如実に」かぶせられつつ、「その一」から「その四」までの状況の出現・成立・発展に、その主力を傾けている、という実情である。
 その六は、特に「その二」、「その四」との関連において、批評家たちのしかじかかくかくの消極的・退嬰的な現状である、と私は、説明するべきであるが、主題の展開上それをしばらく差し置く。
 その七は、このような諸条件の下、六十点以上の実作[中等以上の文学]は、払底し、加うるに七十点以上の制作[上等の文学]への志向も機運も潜勢力も、ほとんど見出されない、という満目荒涼である。
 [後略]


 ……(中略)……
 ……そこでは、「ボーダーレス」は、主として、〝純文芸作物と通俗・大衆・エンターテインメント作物との間に境界・差別はない〟の意味で言われる。元来、それはそうあるべきであり、その命題に、僕は、かねてより僕がそうであったとおなじく、基本的に賛同する。いわゆる「通俗・大衆・エンターテインメント作物」の上部が、いわゆる「純文芸作物」の底辺よりも文芸的に優れている、という近年 ── 「文芸の地盤沈下」が、ますます顕著に取り沙汰をせられた近年 ── の現実を踏まえて、僕は、なおさら基本的に賛同する。だが、そこに問題が、存在する。……
 ……もちろん〝純文芸作物と通俗・大衆・エンターテインメント作物との間に境界・差別はない〟ということは、〝文芸作物に、上等下等の区分なり優劣の開きなりはない〟ということではない。ところが、「ボーダーレス」は、「現今人間多数の精神態様・俗情」との関係によって、その「マイナスの面」において活動し、「悪平等」ないし「玉石混淆積極的是認」すなわち〝文芸作物に、上等下等の区分なり優劣の開きなりはない〟 という命題の横行を指向・発現しつつある。……
 ……約四十年前・君や僕やが生まれた時分に、大庭さんは、『批評の射程』を書いて発表した。そのエッセイを、 ── なかんずく当時の文芸ジャーナリズム世界の実相が箇条書きに整理せられた「その一」〜「その七」を、僕は、今日の状況に照らして、予言的と考える。
 ……(中略)……
 ……全国紙の全面広告・全五段広告・半五段広告などで、「二十世紀掉尾を燦然と飾る(日本文学の)傑作」などと鉄面皮なオダを上げて提灯持ちをしているチンケな「書評家」、そういう無責任な超誇大広告と結託する多数「俗情」が結果する「せいぜい中くらいな作物の何十万部突破」ベスト・セラー化現象、── 文芸分野における「ボーダーレス」のいよいよ決定的な「悪平等」ないし「玉石混淆積極的是認」!……

大西巨人『深淵』 光文社文庫