(三)辻邦生『春の戴冠』


  この四月より、辻邦生の『春の戴冠』が中央公論新社から四巻の文庫版で出版されます。初の文庫化です。この作品は、まず、一九七七年に新潮社から上下二冊(函入り・本にはパラフィン紙の巻かれている)の単行本で、その後、一九九三年に岩波書店の「辻邦生歴史小説集成」にて四巻本で、さらに一九九六年に新潮社から新装版一巻本で、そうして二〇〇五年に同じ新潮社の「辻邦生全集」にて二巻本で出てはいるんですけれども。おそらく、彼の長編小説で唯一文庫化されていなかった作品なんですね(いや、『フーシェ革命暦』も、でした)。かつて辻作品の文庫はとてもたくさんあったんですよ。『時の扉』── 高校生私はこれを非常な駄作だと思いました。駄作というものが確実に存在する、ということを認識した(これは、自分の信頼している作家にすらこういうことがありうると知った、ということが大きかったんですね)のは、このときが最初かもしれません ── まで文庫になっていたのにもかかわらず、です。作品の長さが問題だったんでしょうか。なにしろ、『背教者ユリアヌス』(中公文庫)よりも一千枚長い(三千枚)。
 私は高校時代に最初の単行本を読んでいますが、いまその下巻の奥付に記した読了メモを見ると、一九七九年八月二十四日、一九八〇年四月十九日、同年七月二十六日と、計三回ですね。もしかすると、それ以後にも読んでいるのかもしれません。私が一浪して入った大学を志望したのは、当時辻邦生がそこのフランス文学科の教授だったからなんですよ。ところが、私の入ったのはドイツ文学科で、彼の講義を受けることはありませんでしたし、ちょうどその頃から彼の作品を読まなくもなっていました(『夏の砦』だけは例外でしたけれど)。ちょっと面白いのは、辻というひとは、自身がドイツ文学をやりたいと思っていたにもかかわらず、渡辺一夫がフランス文学の教授だからという理由で(大江健三郎もそうですね)東大の仏文に行ったんですね。とはいえ、それと私とを並べてもしかたがありません。私は大学で全然勉強しませんでしたから。それはそれとして、私は彼を学内で何度となく見かけましたし、一度は便所で並んで用を足しましたっけ。

 辻邦生という作家には、ある限界 ── これは自ら意識的に設けていたものかもしれません ── があって、彼はおそらく最後までそれ以上を進まなかった、と私は思っているんですね。以前にもいいましたが、彼の『西行花伝』や『フーシェ革命暦』をいまだ読んでいない私は、『夏の砦』を彼の最高作と考えています。その私が『夏の砦』に次いで多く読み返していた作品がこの『春の戴冠』なんです。この作品には、彼のいいところと悪いところとが、見事に共存していると私は思います。

 辻邦生はかつて、遠藤周作との対談で、現代では読者が小説を信じなくなってきている(「読者が陰険になってきた」)という発言を受けて、こんなふうにいっています。(引用中の「古文書」は、たとえば遠藤作品では『沈黙』に、辻作品では『夏の砦』その他に、ある種の道具立て ── 作品にリアリティを与えるためのもの ── として用いられているものをさします)。

 しかし、読者以上に、小説家がすでにそうなっているってことが問題ですね。……(中略)……つまり読者を酔わせるどころか、小説家のほうが酔わないんだから。
遠藤 そうなんだ。だから有名なヴァレリーの言葉で、伯爵夫人が馬車に五時に乗りましたという表現は、もう書けませんと言う。この不安はどんな小説家でも、心の中にもどっか持っとるんですね。「古文書」と書いてるときに、自分がしらけちゃうことがあるんだよね。これはやっぱり困る。
 それはありますね。ぼくはそれをどういうふうに解決しているかといいますと……それは純粋に子供っぽさです。
遠藤 どっちが?
 ぼくらが。つまり書き手のほうが。
 ……(中略)……
 子供っぽさというか、いい意味の子供の心情というか、純粋に生命感を生命感として喜び得る人ですね。そういう人間、ほんとうに楽しみを生きることの理由の一つにしている人たちが、つくり、かつ読むというものでしょうね、小説とは。

辻邦生『対談集 灰色の石に坐りて』 中公文庫)


 私は辻邦生のいう、この「子供っぽさ」を、この対談の文脈上ではもちろん認めることができます。しかし、それとはべつに、彼のその信念の実践が現実にはどうであったかというと、それが、あまりの「無邪気さ」・「幼稚さ」・「稚拙さ」であらわれていると感じることがあって、これがしばしば我慢ならないんですね。

「私ね、あの絵の前に立った瞬間、何かに強く抱きしめられたような気がしたんです。あまり幸福な気持だったので、そのまま死んでもいいと思いました」

辻邦生『春の戴冠』 中公文庫)


『春の戴冠』に限らず、実にたびたび、辻邦生はこういうことを登場人物にいわせます。いわせたっていいんです。しかし、彼はそれを、単に物語の進行上の処理として、そうするんですね。しかも、かなり安易な形でするんですよ。「陰険な読者」である私には、これは作者の「手抜き」としか思えないんです(「手抜き」でないとすれば、そういう彼の無邪気さが ── 彼の美点でもあるでしょうが ── 欠点なんですね。辻邦生というひとは、北杜夫の『楡家の人びと』の解説(新潮文庫)で「魂の底から感動した」なんて書くわけです。たしかに『楡家の人びと』はものすごくいい作品です。日本最高の小説だろうとまで私は考えています。しかし、辻邦生のことばを読んで私は仰天し、恥ずかしくなりもしました)。もし、いまの引用部分をしっかり登場人物にいわせるために『夏の砦』一巻分の分量を費やさなくてはならないなら、費やすべきだろう、くらいに私は思うんです。
 しかし、なぜ辻邦生が結局そうしなかったか、敢えていわば天真爛漫な表現を用いつづけたか、ということの理由も私には理解できるようにも思うんですね。理解できるけれども、しかし、駄目だと思う。簡単にいえば、彼は、「作品」を「作者」に従わせる書きかたをしました。つまり、「作者」が主で、「作品」が従であるということですね。私は、これはどうしても逆でなければならないと考えているんです。

 ともあれ、そのうえで、私はこの『春の戴冠』を「よい作品」だといいましょう。彼は非常に善戦しました。

 辻邦生を高校時代に集中して読むことなしに、私のその後の ── いまにつながる読書 ── がありえなかった、とも、私は明言します。特に、トーマス・マンの諸作品ですね。

『春の戴冠』の書き出しはこうです。

 わが都市(まち)フィオレンツァ(フィレンツェ)に生れた芸術家のひとり、アレッサンドロ・ディ・マリアーニ・ディ・フィリペーピ、世にサンドロ・ボッティチェルリと呼ばれる画家の回想を物語るにあたって、その前にしばらく私自身のこと、私とアレッサンドロの関係、私が現在置かれている状況について一言しておくことは、礼儀にも適い、また、私のうえにどっと押しよせてくる思い出の数々 ── そのなかには必ずしも愉しいとは言えず、胸をえぐりたてられるようなものもあり、すでに老齢にいる私には、果してそれを文字で書きあらわせるかどうか、危まれるものさえあるのだ ── を整理し、混乱をまぬがれるのに適宜な手段であると信じるのである。それはまた同時になぜ私が友フィリペーピの回想に着手したか、それを詳細に徹底的に語ろうと思ったか、について、前もって説明してくれることになろうかと思う。
 私の名はフェデリゴ・P**、職業はわが都市フィオレンツァの一私塾の古典語教師である。いや、教師であった、と言うべきかもしれない。私はもうここ十年ほど弟子はとらず、家に引きこもって恩師フィチーノの著作やギリシア古典、二、三のイタリア語の古記録などを読んでいるにすぎないからだ。

辻邦生『春の戴冠』 中公文庫)


 少し後には、

 もっとも私がこう書いてくると、読者諸氏 ── この哀れな老人の回想録に読者がいてくれたらの話だが、それもここ数年来の戦争、内乱、政変で荒廃しきったフィオレンツァではほとんど望めぬことになってしまった ── は私がきわめて冷静に、理性の仄暗い光に照らされながら、これを書き綴っていると思うだろうが、それはただ見せかけだけのことである。私は自分を制し、ペンが激しい感情にふるえるのを辛うじて押えているのだ。読者諸氏はこの老人の内心の葛藤をどうかご推量いただきたい。

(同)


 それで、トーマス・マンの『ファウストゥス博士』の冒頭を引用します。

 誓って断言して置くが、わたしが今は亡きアードリアーン・レーヴァーキューンの生涯を伝えるこの報告、恐ろしい運命に襲われて、一旦は高められ、次いでたちまち突き落とされたあのかけがえのない人物、あの天才的な音楽家のこの最初のそして確かにかりそめの伝記を記すに先立って、先ずわたし自身とわたしの境遇について数語を費やすのは、決してこのわたしを前景に浮び上がらせたい野心からではない。ただわたしは仮定に基づいて、読者が ── 正しくは未来の読者が、と言うべきであろう、何故なら、目下のところわたしの記録が公刊される見通しは ── この記録が、奇蹟によって、攻囲されているわれわれのヨーロッパ要塞を後にして、海の彼方の人々にわれわれの孤独のかずかずの秘密の微かな息吹なりとも伝えられるようになるのでなければ、全くないからである、── 初めから言い直させていただきたい、わたしはただこれを読む人がこの記録の筆者が何者なのか知って置きたいと思うかもしれないことを考慮して、ここに打ち明けるくさぐさのことに先立って、いささかわたし個人についての覚え書を書き記すのである、── 無論そのためにかえって読者の脳裏に、果してこの人物は信頼できるのか、すなわち、わたしはわたしの為人(ひととなり)と経歴との全体から見て、この仕事に、わたしがおそらく何らかの本性の類似という正当な根拠によってというよりは心情の促すところに従って着手しようとしているこの仕事にふさわしい人物であるのか、という疑惑を呼び起すことを予期しないわけではないのだが。

トーマス・マンファウストゥス博士』 円子修平訳 新潮社)


 そうして、少し後には、

 わたしの名は哲学博士ゼレーヌス・ツァイトブロームである。わたし自身、自己紹介がこのように異常に遅れたことを非難するのだが、これもやむを得なかったことで、わたしの報告の行文がこの瞬間までそれを阻んだのである。わたしの年齢は六十歳である。西紀一八八三年にメルゼブルグ郡のザーレ河畔にあるカイザースアッシェルンに四人兄妹の第一子として生まれたからである、この市はレーヴァーキューンもギムナージウムを終えるまでの全学生生活を過したところなので、町の詳しい描写は彼の学生時代を語る時まで延期しておく。一体にわたしの個人的な人生行路はこの音楽家のそれと幾重にも絡み合っているので、先走りの過失を犯さないためには、この二つを互いに関連させて報告するのがよいかと思う、胸がいっぱいになっている時にはそうでなくともこの過失に陥りがちなものである。

(同)


 どうでしょうか?

 むろん、辻邦生は『春の戴冠』において、トーマス・マンの『ファウストゥス博士』を意識しています(それどころか、マンには、ロレンツォ・デ・メディチとジロラモ・サヴォナローラとを主軸とした戯曲『フィオレンツァ』まであります。とはいえ、これを私はまだ読んでいません)。『春の戴冠』がフィレンツェの盛りと没落とを、ボッティチェルリに重ねた作品だとすれば、『ファウストゥス博士』はドイツという国家を ── ニーチェをモデルにしながら ── 音楽家レーヴァーキューンに重ねた作品でもあるわけです。
 それにしても、小説作品において、その語り手が誰であるかということが非常に重要だということを、私は辻邦生作品の読書体験に照らしながら、その後理解していったんでした。つまり、まず、その語り手がたしかに存在していると、こちらに納得できるほどに、作者が彼を描いているか、ということですね。さらに、その語り手がこちらの信用に足る人物であるかどうか、ということ。物語と彼との位置関係。私はそれらをいまばらばらに並べてみましたが、実は、それはひとつのことなんですね。わからないひとは、いまの三つが重なる場所を考えてみてほしいんです。それで、私はそれらをおそろかにした自称「作品」の実にたくさん世のなかに出回っていることを知っています。そうしたばかげた代物を見抜くことを辻作品の読書から学んだと思います。しかし、それはまたしても辻作品があまりにもわかりやすい形で書かれていたために、早くも高校生私に理解ができたのじゃないかという気もするわけです。

 因みに、辻作品のいくつかから引用してみます。

 私が弁辯士エリク・ファン・スターデンの晩年の一時期 ── というよりは、とくに最後の半歳ほどの生活について物語ろうと思いたったのは、私自身、ファン・スターデンに関係があったばかりでなく、幾人かの証人と彼自身の書きのこした日記その他の書類が、その頃、私たちにとって謎でしかなかった彼とその生活とを、徐々に明らかにしてくれたからである。
 私がファン・スターデンのもとで働きはじめたのは、……

辻邦生「ある晩年」 新潮文庫『見知らぬ町にて』所収)


 裁判長、ならびに陪審員の皆さん。
 このたびブリガンティン型帆船〈大いなる眞晝〉号で起った事件に関する陳述の機会を与えて下さったことをまず心から感謝いたします。裁判長はこの件について単なる事件の経過だけでなく、事件の本質を示すすべての関連的事実までも陳述するよう示唆されました。私は当法廷が〈大いなる眞晝〉号事件の意味を重視せられ、その心理的側面にまで関心を払っておられるのを見て、深い敬意を表するものであります。

辻邦生『眞晝の海への旅』 新潮文庫


 私が以下に訳を試みるのは、南仏ロデス市の著名な蔵書家C・ルジエース氏の書庫で発見された古写本の最後に、別紙で裏打ちされて綴じこまれている、発信者自筆と思われるかなり長文の書簡断片である。原文はイタリア語であるが、私はC・ルジエース氏の仏文の試訳に基づいて日本訳を行なった。古写本そのものについては……

辻邦生『安土往還記』 新潮文庫


 支倉冬子がスエーデンに近いS***諸島のフリース島で消息を絶ってから、もう三年の歳月がたっている。彼女が失踪の当時、この地方の名家であるギュルデンクローネ男爵の末娘エルスが同行していたため、コペンハーゲンハンブルグあたりの週刊誌はじめパリの夕刊紙などにも、あからさまに一種のスキャンダルの清算のための自殺だなどと書きたてたものがあったりして、関係者だけでなく、若い日本人留学生のあいだにも、かなり動揺をよびおこしたように記憶している。私は、その当初から、こうしたセンセーショナルな記事に対して怒りを感じこそすれ、支倉冬子やエルス・ギュルデンクローネの友情や生活にいささかの疑惑を抱かなかったし、現在、彼女に関する能うかぎりの記録を集めて、その最後の頃の生活や考え方が明らかになりはじめてみると、私は私なりに、多少の感慨とともに、自分の確信の正しかったことに対するいささかのよろこびを禁じえないのである。
 そもそも私のように、織物工芸などになんの関係もない一介のエンジニアにすぎぬ人間が、支倉冬子に関する記録を集めるようになったのは、まず第一に……

辻邦生『夏の砦』 文春文庫)


 さて、『春の戴冠』に戻ります。

 最初の二巻の単行本 ── 後にこの上巻が「第一部」、下巻が「第二部」という区分を与えられることになります ── のそれぞれのエピグラフはこうです。ともに辻邦生訳と思われます。

 上巻は、

 うるわしき若さも
 とどむすべなし
 愉しみてあれ
 明日知らぬ身なれば

── ロレンツォ・デ・メディチ ──


 ロレンツォ・デ・メディチのこの詩句は非常に有名であるらしく、ヘルマン・ヘッセの『郷愁(ペーター・カーメンチント)』(高橋健二訳 新潮文庫)では、

 青春はいかばかりにうるわしき。
 されどそははかなく過ぎ行く。
 楽しからんものは、楽しめ。
 あすの日はたしかならず。


 ── と引用されていました。

 さて、下巻は、

 明日が、その明日が、そしてそのまた明日が、
 一日一日と、忍び足にすぎ去って、
 いつか時の終りに来てしまうのだ。


マクベス』です。

 あれも、いつかは死なねばならなかったのだ、一度は来ると思っていた、そういう知らせを聞くときが。あすが来、あすが去り、そうして一日一日と小きざみに、時の階を滑り落ちて行く、この世の終りに辿り着くまで。いつも、きのうという日が、愚か者の塵にまみれて死ぬ道筋を照らしてきたのだ。消えろ、消えろ、つかの間の燈し火! 人の生涯は動きまわる影にすぎぬ。あわれな役者だ、ほんの自分の出場のときだけ、舞台の上で、みえを切ったり、喚いたり、そしてとどのつまりは消えてなくなる。白痴のおしゃべり同然、がやがやわやわや、すさまじいばかり、何のとりとめもありはせぬ。


 べつの訳では、

 あれもいつかは死ぬ定めだったのだ。
 いつかはこんな知らせを聞く時が来たはず。
 明日、また明日、そしてまた明日が、
 小刻みな足取りで一日一日と這ってゆき、
 やがて時の終るその一瞬まで続いてゆく。
 そしてわれらのすべての昨日は、
 馬鹿者どもが死んで塵に帰る道筋を
 照らしてきたのだ。消えろ、消えろ、短いローソク
 人生は歩き回る影、あわれな役者、
 出番の間は舞台を闊歩し、大声で喚いても、
 その後はもう何の音も聞こえぬ。人生は
 阿呆の語る物語。響きと怒りだけは物すさまじいが、
 意味するところは、無だ。

安西徹雄訳 P・ミルワード『シェイクスピア劇の名台詞』 講談社学術文庫


 それで、いまの引用部分の最後ですが、

                   ......it is a tale
 Told by an idiot, full of sound and fury,
 Signifying noting.

SHAKESPEARE : Macbeth


 ── というのが、『神聖喜劇』(大西巨人)のエピグラフですし、また、この「sound and fury」は、フォークナーの作品のタイトル『響きと怒り』ですね。

 いやいや、『春の戴冠』の話をしているんでした。

 第一部も、第二部も、それぞれ、そのエピグラフ通り ── まさにそのまま ── にフィレンツェという都市が語られることになります。つまり、花の盛りのフィレンツェが描かれながら、そのなかにあって、すでに没落の予感を抱きつつ詠まれるのが、「うるわしき若さも……」ですし、「明日が、その明日が……」の後には、没落が現実となってくるんです。

 特に第二部の終盤では、語り手フェデリゴの娘アンナが「少年巡邏隊」の一員として彼の家にやって来ると、彼女の仲間がある酷いことをするんですけれど、その描写には、私は自分自身が切り裂かれるような気がしましたね(いまその部分を読み返してもそうなります)。それが ── というより、そうした一連の出来事の全体が ──「いつか時の終りに来てしまうのだ」なのか、とも思いました。そうして、それだからこそ、第一部のエピグラフが強烈に生きてくるのでもあるんです。

 それでも、私はこういわなくてはなりません。先に私は、この作品と『ファウストゥス博士』とを並べてみましたけれど、逆に、『春の戴冠』の読者がマンのこの作品を読みもしないで想像することがあってはならないとも思っています。『ファウストゥス博士』ははるかに高度な作品です。

 私はどういえばいいんでしょう? 『西行花伝』も、『フーシェ革命暦』をも、購入だけはしている私は、いずれ、これらを読むつもりでいるんです。私はほんとうに辻邦生には「世話になった」と思っているんですし、彼の亡くなったのを知ったときには大きい喪失感を抱きもしたんです(同様の感覚は、その後、カート・ヴォネガットの死を知らされたときにも抱きました)。繰り返しますが、彼の作品を読むことなしに、トーマス・マンその他の作品に手を伸ばすこともなかった・いまの自分の読書もなかったと思っているんです。しかし、私は彼の限界を口にせざるをえないのでもあるんです。たしかに私は辻作品の文章を読むことによって、かなりの安心感 ── まるで故郷に帰ったような ── を抱くことができるはずなんです。彼の文章は、ある種の読者に必ずそれをもたらすでしょう。しかし、そんな安心感は駄目なのではないか、とも、私は考えるんですね。困ったことに。

 どれくらい以前のことか、私はあるひとが辻作品を侮蔑的に「女子大生の読みもの」と呼ぶのを聞いて、その意味を理解しましたし、また、車谷長吉がこう書いている意味もよく理解できました。

 私は辻邦生氏とは面識があった。併し私とは作風が違うし、その文章には生活感がなく、嫌いだった。

車谷長吉『錢金について』 朝日文庫


 もっとも、車谷長吉が同じ本のなかで、自分が『赤目四十八瀧心中未遂』── この作品を私はよいと考えています ── で直木賞を受賞して、朝日新聞の「ひと」欄に載ったことについて、「朝日の「ひと」欄に私の名前が出るのは、生涯の夢だった。」などと書いているのを読んだ私は、まったく彼らしいことだと思いもしたんでした。つまり、世のなかに向かって、そういうつっかかりかたをするひとなんですね。そういうひとのいう「生活感」なわけです。朝日の「ひと」欄に自分の名前が出ることがなんですか。それはただそれだけのことです。車谷長吉は、ただ、自分が『赤目四十八瀧心中未遂』を書いた当人であることを誇りに思っていればよかったんです。彼にはこの誇りが欠けているのじゃないでしょうか。それじゃ駄目です。車谷流の世間への執着なんかどうでもいいんです。彼はそれを踏み越えて、もっと先へ進まなくちゃなりません。あるいは、彼はわざわざ「ひと」欄云々を書いたのかもしれません。そうだとして、それですら余計です。彼にはそんなことより他にすることがあるはずです。しかし、ここは彼の話をするところじゃなかったんでした。

 ああだこうだといってきましたが、私は結局『春の戴冠』について、こういいます ── ぜひ読んでみてください。

 ついでに ──

 私は先にいった三度の通読時に、十一世紀スペインにおけるレコンキスタの英雄を描いた映画『エル・シド』(アンソニー・マン監督 主演はチャールトン・ヘストン 一九六一年)のサウンドトラック盤(ミクロス・ローザ ── 彼の仕事として最も有名なのは映画『ベン・ハー』(ウィリアム・ワイラー監督 主演はこれもチャールトン・ヘストン 一九五九年)の音楽なんですね ── の作曲・指揮です)をずっと聴いていたんです。それで、これは想像ですけれど、おそらく辻邦生も『エル・シド』を観ていたにちがいないと思うんです。観ていただけでなく、もしかすると、この映画音楽のレコードを持っていたのではないか、とまで思うんですね。『エル・シド』における騎馬試合の映像なしに、『春の戴冠』の騎馬試合はあのように描かれなかったというだけでなく、映画のつくり、それとともにあの音楽のつくりが、まさに『春の戴冠』のつくりなんですよ。ミクロス・ローザによるあの音楽の連なりと『春の戴冠』はあまりにも似ているんですね。
 たとえば、「FIGHT FOR CALAHORRA」という曲 ── 映画では騎馬試合のはじめに流れる ── のある種の「祝祭性」が、『春の戴冠』のそれにぴったり照応するだろうと私は思うんです。この「祝祭性」ということばを私は高校生の時分で考えていただろうと思いますが、おそらく、それが辻邦生のよく用いていたことばなんですね。つまり、辻邦生によって、私の頭に「祝祭性」というものが刻まれ、ある位置を占めることになったわけです。
 なおも、ローザの音楽をいえば、「OVERTURE」や「INTERMEZZO : EL CID MARCH」が『春の戴冠』全体の語りの基盤 ── フィレンツェの花の盛りは本来このようなものであった ── に照応するでしょう。「BATTLE FOR VALENCIA」は、ジロラモ・サヴォナローラフィレンツェの対立に照応します。
 そして、極めつけは、「FAREWELL」で、これこそが、『エル・シド』のつくりと『春の戴冠』のつくりとの一致を示すだろうと思うんですね。これは、ギターのイントロから、登場人物の個人的な思いと行動とを描写していき、それが最後になって、大きな歴史の渦に否応なく巻き込まれていく ── つまり、「OVERTURE」や「INTERMEZZO : EL CID MARCH」の旋律に巻き込まれていく ── というつくりなんですね。このつくりの原理が『春の戴冠』のみならず、辻邦生の諸作品(初期のものは除きます)の原理だと私は考えます。
 そうして、「THE CID’S DEATH」を聴いてみてください。それから、終曲「THE LEGEND AND EPILOUGE」ですね。まるっきり『春の戴冠』です。
 それで、映画『エル・シド』ですが、私はこれを高校生のときにテレビで観たんです。二週に分けての放送でした。土曜の午後にやっていたんです。前編を観ているときに、うちの ── その当時飼っていた犬が、鎖のはずれたために逃げ出したんですよ。それで ── 犬を追いかけなくてはならなかったために ── 、前編の途中からは観ることができなかったんですね。で、翌週、途中を知らないままに、後編を観たわけですけれど、それでも感動したんです。たしか、ラストのナレーションでは、「こうして、エル・シドは、歴史という名の門から、伝説のなかへと、駆けて行ったのである」とあって、それで、「THE LEGEND AND EPILOUGE」が流れるんでした。
 ところが、後年、全編をヴィデオで観直してみて ── 飼い犬の逃亡によって見ることのできなかった部分までを観たわけです ──、私はいささかがっかりしましたっけ。わかってはいましたが、そこには、結局、主人公ロドリゴ・ディアス=エル・シドがどれだけ祖国スペインに忠誠を尽くしたか、ということの、なんというか、実直な描写(辻邦生の表現を借りれば、その「量塊」ですね)しかなかったんですね。

 いまここで確定したのは、「ふさわしい単純映像」をならべて、「ある主題の感じ」を体験させてゆくという小説方法である。これは「詩」を基調にするが、さらにそのより広大な情感の表出を可能にする。心を動かす「感情」すべてを、それは含むのだ。材料は、こうした「長さ」をつくるための「つめもの(ルサンブランス)」である。「感じ」があるだけでは、「らしい感じ(ランプリユール)」は生れない。そこに「埋めるべき枠の空白」があるのである。この「空白」を埋め、一つの実体(「感じの実体」)とするのが素材という「つめもの」なのだ。素材をそこに並べてゆくことによって、この「感じの実体」ができあがる。この「実体」をつくり、「感じ」をそこに定着するのが創作の目的なのだから。「ボティチェルリ」なり「光悦」なり「信長」なり「ユリアヌス」なりは、こうした「感じ」を実体化するための「媒介」としての素材なのだ。それなしでは「感じ」は眼に見えない。しかし「素材」の並びは、それが決して目的ではないし、対象化でもなく、あくまで、この「感じ」の容器なのである。「素材」の量塊性のなかにのみ、この「感じ」を電磁力のごとく、宿らせることができるのである。
 したがって、どこまでも「具体物」の並びによってつくってゆく。どんな観念も「具体物」の並びとなる。この「一般具体物」を並べることによってのみ「量塊」がつくられる。「量塊」をつくることが第一次的な作業なのだ。絵もいかにしてこの「量塊」となっているのか、の視点から、その個々を見るのだ。それは、あくまで「量塊」によって「感じ」をつたえているのだ。この「量塊」をつくっている個々の集まりをみるのだ。「ボティチェルリ」なり「ユリアヌス」なりは一つの具体例なのだ。真の「観念=感じ(イデー)」があり、それを、そういう「素材」の「量塊」によって、具体的に、体験させてゆくのだ。なぜなら、「感じ」は、かかる全体的な感受のしかたによってしか、一つの導体から、他の導体に移れないからである。
 ある「感じ」の支えがない場合、その「支え」として、その空白部分に「素材」を置くのだ。小説をつねにかかる「充たすべき量塊」として感じる。これだけの「量」はつくらなければならぬという「容量」として感じる。『安土往還記』の後半は三つの塊によってつくられるべきだと感じるそうした感じ方。
 そこに当然、「光悦」の場合も、幾つかの「量塊」としてそこに置くべき「出来事の容量」があるはずである。第一のエピソード、第二のエピソードというごとく。この「エピソードの量」をまず「量感」として感じる。そしてその「量感」を「もの」で埋めるのである(「エピソード」を与えるのが「素材」である)。

辻邦生『モンマルトル日記』 集英社文庫


『春の戴冠』も、まさにそれなんです。フィレンツェの花の盛りと没落 ── ただそれだけなんですよ。それでいいといえば、そうなんですが、でも、私としてはある種の不満を抱えざるをえないんですね。
 この世を人形劇の舞台になぞらえ、それをある種天真爛漫に上演しようとした辻邦生に、私は不満を表明せざるをえないんです。しかし、それでも私は、『春の戴冠』を少なくとも三度通読したんです。この、うまくいえませんが、愛憎半ばす、みたいな気持ちをどうしたらいいかわかりません。辻邦生が、とにかく、ある時期以降、そういう描きかたを選んだんですよ。そうして、彼は、その後、そのやりかたに賭けたんでしょう。『夏の砦』の制作時点では、まだ、そうではなかっただろうと思うんですが。
 そんなふうで、『春の戴冠』以降、辻作品を読むことをやめてしまった私がしゃべってみました。

(二〇〇八年四月十六日)
(二〇〇八年四月二十二日改稿)
(二〇〇八年四月二十三日改稿)
(二〇〇八年四月二十七日改稿)
(二〇〇八年四月二十九日改稿)
(二〇〇八年四月三十日改稿)




春の戴冠〈1〉 (中公文庫)
Rozsa : El Cid
エル・シド デジタルニューマスター版 [DVD]