(二)「ナゼナラ、オレハ自分ガソウイウコトヲスル人間ダト、コレマデ思ッテミタコトモナイカラ!」


 二十五歳(一九八八年)で、私は最初の ── 二年間勤めた ── 就職先を辞めたんでした。当時、私がしきりに読み返していた文章は次の通りです。ちょっと解説しておきますと、語り手は父親になったばかりの男 ── 以前にプルトニウム被曝を経験しています ── で、生まれた子供は脳に障害を抱えていたんでした。彼には、子供を処分したいのなら、してあげようという援助者までいるんですね。彼は、それで、どうしたものか、性風俗の店に足を運んでしまい、店の女性と性交します。わけがわかりませんか? ところが、そうしてみると、彼には自分に勇気の湧いていることが自覚されるんですね。

 どのようにその勇気をかちえたかと聞かれたなら、こんなふうに答えた筈なのさ。オレハイマコレマデノ自分ガ決シテヤルハズノナカッタコトヲヤッテキタ! オレハ二十世紀アメリ起源ノ疾患プルトニウム被曝ノ経験者ダガ、イマヤ十六世紀アメリ起源ノ疾患梅毒ノ経験者ニモナリツツアル。シカモ行動ニヨッテカチトッタ教訓ハ次ノトオリ。ヤラナイヨリ、ヤル方ガイイ! ソコデオレハ、「親方パトロン」ニヨル嬰児殺シノ誘惑ニ一杯クワセ、ソレニ八割方乗ッテイタオレ自身ニモ一杯クワセテ、一生涯、脳ニ障害ノアル子供ヲカカエコム! ナゼナラ、オレハ自分ガソウイウコトヲスル人間ダト、コレマデ思ッテミタコトモナイカラ!


 この文章に私がどれほど励まされたか、いくらいっても、いい尽くせないでしょう。なんという推進力が「ナゼナラ、オレハ自分ガソウイウコトヲスル人間ダト、コレマデ思ッテミタコトモナイカラ!」に秘められているでしょうか。いまでも私は感嘆するんです。そういう思考の道すじが非常に有効であると思っているんです。
 しかし、なんといえばいいか、私はそれをかつて悪用したのじゃないか、と思うんですね。
 むろん、結果的にあの会社を辞めたことはよかったと思っています。しかし、私はあまりにも身勝手だったろうと思うんです。私は「ナゼナラ、オレハ自分ガソウイウコトヲスル人間ダト、コレマデ思ッテミタコトモナイカラ!」を「親の意見を 聞くような奴は 道楽仲間の 面汚し」的意識で利用したのじゃないでしょうか。それを悪用したかどうかなんてことが、当時の私にはわかりようもなかったとは思いますけれど。

(二〇〇八年四月一日



ピンチランナー調書 (新潮文庫)