(二八)「些細なことながら、このようなニュアンスの違いの積み重ねによって読者は、少しずつ、しかし確実に原典から遠ざけられて行く。」その一六




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 ここで飛び入りの原稿を挿みます。この数日、「連絡船」の以前の記事(二〇〇九年二月三日 http://d.hatena.ne.jp/kinoshitakazuo/comment?date=20090203#c110093162)のコメント欄でおもしろいことがあったので、こちらに転載しておきます。
 なお、転載にあたって、行頭の一字下げをし、誤字を訂正しました。

 まず、「かめ」という名前でこういう書き込みがありました。

かめ 2009/10/28 00:09
 あなたの文章は読むに堪えない。人の文章の誤読ばかりだ。
 それと、あなた、文学のぶの字もわかっちゃない。
 ひどすぎますぜ。


 私はひとこと、こう返事をしました。

木下和郎 2009/10/28 01:50
 そうでしょうとも。


 すると、

かめ 2009/10/28 20:36
 沼野さんの文章がかわいそう。あなたのような、おつむの少々弱い方に、勝手にねじくれた言い直しをされて。文章とはまずは素直に読むものです。特にあなたのような少々おつむのお弱い方は。
 あなたのような方が仮に翻訳をなすったら、あなたの絶大なるひとりよがりによって、全てに渡っておかしなものとなっちゃいますでしょう。決して、あなた、翻訳などなさらないように。
 そして、上で、あなた「そうでしょうとも。」とご自分のことをよく分かってなさる。
 ということは、こういった下らぬブログ、即刻おやめあそばされよ。無駄。
 最後に、あなたの文章は長い。おつむのお弱いひとほど、内容もないのに長くなる。


 そこで、私はこう書きました。

木下和郎 2009/10/29 01:17
 かめさま。
 二夜連続で新潟(西)からのコメントありがとうございます。昨日は真面目に応対せず、失礼しました。
 さて、沼野さんのことですが、いくらなんでも彼を知的に ── この場合は文学を読み取る力の程度と考えてもらえばいいです ── 最先端=亀山郁夫と同レヴェルだなんていったら、かわいそうじゃないですか。そりゃ、あんまりですよね。だから、その点では彼を救いました。私が沼野さんを批判するのは、彼が最先端=亀山郁夫のこれ以上ないくらい低レヴェルで愚劣な読み取りと、それに基づくでたらめだらけ、最低の翻訳の実質を知りつつ、それを認めずに、嘘をついて称揚してしまっているということなんです。これ、わかります? 倫理的問題なんです。まさか沼野さんに最先端=亀山郁夫の翻訳が見抜けないわけはないでしょう? もし、見抜けていないなら、倫理問題は免除されますが、今度は知的に問題があることになってしまうんです。誰だって最先端=亀山郁夫と一緒にされたくはないですよね。
 かめさん、あなたは最先端=亀山郁夫による翻訳の実際を知らないから、私の文章がおかしいなどというんです。
 私はこれまでずいぶん長い文章を書いてきましたが、ここで短く説明してみましょう。どうやらあなたは「文学」がわかっていらっしゃるようなので、当然『カラマーゾフの兄弟』をお読みでしょう。
 アリョーシャの「あなたじゃない」は最先端=亀山郁夫の読み取りでは「あなただ」ということらしいですよ。「アリョーシャの「あなたじゃない」という言葉は、イワンは法的な意味において裁かれることはない、だから、そう苦しまないでほしい、という意味にとらえることができるように思えます。」だそうです。馬鹿じゃないですか?
 また、「エピローグ」では、アリョーシャがコーリャのことば「全人類のために死ねればと思います」をいい換えて、こういいますよね。「ことによると、さっきコーリャが叫んだみたいに『僕はすべての人々のために苦しみたい』と言う人たちを、意地わるく嘲笑うようになるかもしれない」。そのアリョーシャのことばを最先端=亀山郁夫が何と訳しているか。「さっき、コーリャ君は、『人類全体のために死ねたら』と叫びましたが」ですよ。ドストエフスキーの原文を無視です。おそらく知的レヴェルの非常に低い最先端=亀山郁夫は、アリョーシャがいい換えているということすら理解できていなかったろうと私は思います。彼は単純にアリョーシャのせりふが間違っていると思っちゃったんですよ。何だよ、コーリャは『人類全体のために死ねたら』といったじゃないか、アリョーシャ、何を間違えてるんだよ、というような具合ですね。これが何を意味するか。最先端=亀山郁夫はアリョーシャ、ゾシマ長老、キリストなどがこの作品全体でどんな位置づけにあるか、どういう重量を置かれているか、その他がまるっきりわかっていない、ということなんですよ。こんなでたらめなひとがこの作品を翻訳しちゃいけないのは、わかりますよね?
 それから、最先端=亀山郁夫によれば、ペレズヴォンという犬は実はジューチカじゃないそうです。大笑いです。こんな馬鹿な読み取りを、文学のわかるかめさんが即座に馬鹿と思わないわけがないですよね。で、この最先端はどうやら『悪霊』の翻訳にも手をつけているらしいです。あなたが最先端=亀山郁夫による翻訳の実質を知ったら、何としても『悪霊』はやめろ、と思うと信じます。

 というわけで、「文学のぶの字もわかっちゃいない」だの「ひどすぎますぜ」だの「おつむの弱い」だの「翻訳などなさらないように」だの「絶大なひとりよがり」だのは、文学のわかるあなたから、この私にでなく、まさにその全部のあてはまる最先端=亀山郁夫にいってあげたらいいと思います。

 また、私の文章はたぶん「文学」のわかるひとにしか読めないんじゃないでしょうか? 私の文章の長いのは内容がぎっしりで、しかも懇切丁寧だからですね。
 http://www.kinoshitakazuo.com/kameyama.pdf
 内容ぎっしり、懇切丁寧な私の文章をどうか読んでみてください。「文学」のわかるひとには必ずわかる文章です。「文学」のわかるひとなら、私の「文体」もわかると思うなあ。

 あ、最先端=亀山郁夫も長い文章を読む ── たとえばドストエフスキーの長編小説とか ── のが苦手のようです。書くのも苦手なんじゃないかなあ。

 それから、もしまだ何かコメントを書かれるなら、私の内容ぎっしり、懇切丁寧な文章のどこがどのように問題なのかを具体的に書くようにしてくださいね。今回のでいえば、あなたは最先端=亀山郁夫へのあなたの評価をまったく具体的に書いていない。よろしくお願いします。

 今日は真面目にお答えしました。それでは。


 そうすると、

かめ 2009/10/29 21:27
「二夜連続で新潟(西)からのコメントありがとうございます。」
 まず、この一文であなたの人間性のくだらなさがさらによくわかりましたよ。
 沼野さんの文章、もちろんあなたのようなひとが読めばそう読めるでしょう。
 しかし、それは、非常に偏った読みかたにほかならない。そんなものを断定口調で書くものではない。
 わたしが、『カラマ』を読んでいるとの前提で書かれているが、わたしはそれを読んだことがない。あなたの、またもやの、ひとりよがり。
 あなたの文章は魅力がない、即刻ブログをやめることを提案してわたしからのさいごのコメントとしたい。


 それに対して私は、

木下和郎 2009/10/30 02:22
 かめさま。
 まず最初にこれは謝ります。私はあなたが最先端=亀山郁夫本人なんじゃないのか、とちょっと想像してみたんですね。「かめ」という名前だし。だから、なぜ新潟から? と思ったわけです。新潟に出張し、投宿先からコメントを書き込みしているんじゃないのか、と思いました。だから、これは、あなたに謝らなくてはなりません。最先端=亀山郁夫が書いているのなら、突っついてみようかな、なんて考えてしまったんです。でも、そうではなかった。

 あなたは『カラマーゾフの兄弟』を読まれていないんですね。ならば、沼野さんの文章がいかにおかしいかが読み取れないのも仕方ありません。絶対に動かせないのは、最先端=亀山郁夫がひどすぎるという事実です。『カラマーゾフの兄弟』を読んでいるひとになら、最先端=亀山郁夫がいかにひどいかがわかるんですが、このひどさのわからないひとには、沼野さんの文章をそのまま素直に読んだら、それは最先端=亀山郁夫がいかに素晴らしいか、と読まざるをえません。まさにその点こそ、私が沼野さんを批判する理由です。最先端=亀山郁夫がひどすぎるという事実を知っているひとは、沼野さんが嘘をついているとしか読めないんです。そうでなければ、沼野さんが最先端=亀山郁夫並みの知性しか持っていない、と。『カラマーゾフの兄弟』を読んでいないひとにこのことのわかりようがありません。

 さて、文学がわかるけれども、『カラマーゾフの兄弟』を読んだことはないというひとは、もちろんたくさんいるでしょう。でも、もし文学がわかるなら、私の文章を読んで、これは亀山郁夫にとんでもない問題があるに違いないと感じることができるはずです。そうでなければ、木下和郎がこれほどまで沼野さんの文章を素直に読まないわけはないだろう、と。木下和郎がこれほどまでに沼野さんの文章を素直に読まない理由が亀山郁夫にあるのかもしれない、とそう思うはずです。でも、あなたには、どうやらそれもないようです。最先端=亀山郁夫のことを何も知らずに、ただ沼野さんの文章だけを問題にしているんですね。文学のわかるひとなら、亀山郁夫の実際を自分で確かめてから、私にコメントしてくると思いますよ。それなのに、「しかし、それは、非常に偏った読みかたにほかならない。そんなものを断定口調で書くものではない。」なんていうあなたには文学的想像力というものが欠けているんじゃないですか? そういう検証を怠ったあなたこそ私について「断定口調で書くものではない」でしょう。ご自分の矛盾がわかっていますか? どんなに尊敬するひとの文章でも、文学のわかるひとならば、まずは疑ってかからなくてはなりません。その疑いを圧倒的に否定してくれる文章こそ素晴らしい文章なんです。

 まあ、それでもあなたのようにいきなり私にむかって、「文学のぶの字もわかっちゃいない」なんて、根拠の説明もなく書き込みするようなひと ── 『カラマーゾフの兄弟』も読まずによくもこんなことができましたね ── には、もう応対したくもありませんから ── だから最初に「そうでしょうとも」と書きました ── 、本当に「さいご」にしてもらってよかったとも思います。いいですか、私は最初から頭ごなしに最先端=亀山郁夫を馬鹿になんかしていませんでした。長い、内容ぎっしりで、懇切丁寧な文章を通じて、最先端=亀山郁夫を礼儀正しく馬鹿にしたんです。それが、あなたにはわかっていない。最先端=亀山郁夫のひどさもわからずに、まして『カラマーゾフの兄弟』も読んだことのないようなひとに、私の文章の理解ができるはずもありません。なぜ『カラマーゾフの兄弟』も読まず、亀山郁夫の仕事を確かめもせず、あなたのように無礼な書きかたができるのか、わかりません。つまり、これも「あなたの人間性のくだらなさ」ですよね。あなたが『カラマーゾフの兄弟』を読んだことがあって、しかも、亀山郁夫の仕事に感動しているというなら、まだしも。

 というわけで、私はブログをやめませんし、最先端=亀山郁夫を批判しつづけます。あしからず。あなたのように文学のわからないひとは私の考えている読者じゃありません。もし、私を批判したいのなら、私が最先端=亀山郁夫を批判しているのと同じくらいの労力と時間を費やして私を批判してください。そのときにはきちんと応対しましょう。

 さようなら。もう返信は結構ですからね。


 以上です。


 追記(二〇〇九年十一月十一日)

かめ 2009/11/10 23:24
 つまり、私が「かめ」という匿名を使ったことなどから、亀山郁夫とはやとちりされ、「二夜連続で新潟(西)からのコメントありがとうございます。」と、私が開示を想定してもいない情報を敢えて公けにされた、というわけですな。ずいぶんと情けない話ですね。
 しかし、これ、よしんば私が亀山郁夫本人に間違いがないとしても、どうにも思慮の足りない貴方の行為ということになる。
 他の文面にも、その貴方の思慮の無さ、浅はかさがぷんぷんと臭うのです。臭い立つのです。とてもじゃないが、信用がならない。
 頭の悪さから来る(のであろう)、ひとりよがりばかり。
 私は、これまでの経過を全てコピーさせていただきました。情けないブログということで、いつか、どこかで、発表する機会があるのかもしれぬ……。
(貴方のやったことは、「最低限の道徳」ともいわれる法には抵触しないであろう、が、あきらかに、いわゆる道徳に悖る行為であろう。情けない人間だね、きみは)