「些細なことながら、このようなニュアンスの違いの積み重ねによって読者は、少しずつ、しかし確実に原典から遠ざけられて行く。」その一六


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 私はいっておきますが、テレヴィだとかラジオだとか新聞だとか雑誌だとか、そんなものをあんまり無条件に ── 「権威」として ── ありがたがるのはもうやめましょうよ。これを私がいいます。まさかこの人生で自分がテレヴィだとかラジオだとか新聞だとか雑誌だとかに出るだなんてことがあると思いもしないでいて、あるときから ── そうしていまでも散発的に ── 取材依頼を受ける羽目になってしまった私がいいます。そんなのはどうってことないんですよ。朝日新聞の「ひと」欄に載ることがすごいことですか? いいえ。新聞のテレヴィ番組欄に自分の名前が載っているのを見るのがいい気分ですか? いいえ。読売新聞の一面に自分の名前を見るのがいい気分ですか? いいえ。毎日新聞の読書欄に自分の名前が出るのはどうですか? いいえ。日本経済新聞は? いいえ。雑誌「ダ・ヴィンチ」で自分が「伝説」呼ばわりされるのがいい気分ですか? いいえ。「週刊文春」は? いいえ。NHK、TBS、フジテレビ、テレビ朝日テレビ東京などなどは? いいえ。テレヴィやラジオの生放送のスタジオの雰囲気って、さぞかし素敵なんじゃないだろうか? いいえ。その他いろいろ。いいえ。いいえ。いいえ。
 いいですか? 私は自慢しているのじゃなくて、それらがどうってことない、といっているんです。いいですか? あなたがテレヴィだの雑誌だの新聞だのの取材を受けたって、あなたはただいつも考えていることをいうことしかできないし、それが当然だし、また、そうすべきなんですよ。よそ行きの身なりをする必要なんか全然ありません。というか、あなたはそれら媒体に合わせてはなりません。
 私はあなたに私の「権威」を自慢しているのじゃなくて、あなたが「権威」と受け取りかねないものを全然「権威」じゃない、といっているんです。
 しかし、この点、最先端=亀山郁夫はそれを「権威」だとしか考えることができないし、しかも、それを真に受けること・それに乗っかることしかできないんです。そうして、彼は、メディアに露出すればするほど、自分の最先端ぶりをさらすことになるんです。対して、私はむしろ、メディアからの取材の経験を重ねるごとに自分の「責任」の方を考え込むようになったと思います。私は「権威」なんかになっちゃいけないと考えたでしょう。このことを理解してもらうのは、もしかすると、ふつうのひとたちにはとんでもなく難しいことなんでしょうか? たいていのひとには私が自分の「権威」を誇り、「自慢」しているとしか受け止めてもらえないんでしょうか?

 私は、自分が以前ドストエフスキーの『おかしな人間の夢』を紹介したときに、カート・ヴォネガットの『ホーカス・ポーカス』(浅倉久志訳 早川文庫)から長々と引用したことを思い出します。この小説のなかに「トラルファマドールの長老の議定書」という(小説内)小説が出てきて、語り手がそれを読むというくだり。

 それは何兆光年もの長さを持つ、知的エネルギー線の物語だった。彼らは、寿命の限られた自己増殖力のある生物を、全宇宙にばらまきたがっていた。そこで、そのうちの何本か、つまり、題名にある長老たちが、トラルファマドールという惑星のそばで交錯して会議をひらいた。なぜ長老たちが生物を蔓延させることを名案と思ったのか、作者は説明していない。むりもないと思う。わたしだって、それを支持する強力な理由は思いつけない。わたしから見ると、あらゆる居住可能惑星に生物を居住させたがるのは、あらゆる人間に水虫をうつしたがるのとおなじである。
 その会議で、長老たちの意見は一致した。宇宙空間の膨大な距離を生物が旅する上でのただ1つの実用的な方法は、極微で耐久力のある植物や動物が、彼らの惑星にはねかえった流星にヒッチハイクすることだ。
 しかし、そんな旅をして生き残れるほど強靭な細菌は、まだどこにも進化していなかった。当時の細菌の生活はのんきなものだった。坊っちゃん育ちの集まりだった。化学的にいえば、彼らが伝染したどんな生き物も、チキン・スープのように安全だったのだ。

 この会議がおこなわれた時期、すでに地球には人間がいたが、彼らは細菌がその中で泳ぎたわむれるほっかほかのスープにすぎなかった。しかし、人間は超特大の脳を持ち、中の何人かは話をすることができた。読み書きさえできるものがいた! そこで長老たちは人間に狙いを定め、彼らの脳が細菌のための恐怖の生存テストを発明できるかどうかを検討した。
 長老たちは人間の中に、宇宙規模の化学的邪悪さの可能性を見いだした。そして、人間は長老たちを失望させなかった。

カート・ヴォネガット『ホーカス・ポーカス』 浅倉久志訳 早川文庫)


 というのは、その細菌を強靭にするために、化学的邪悪さの極みといえるスープ ──「恐怖の生存テスト」── で育てるということなんですね。スープが邪悪であればあるほど、そこで生きなくてはならない細菌も強靭になっていきます。これ、理屈としては、「悪魔」がイワンを「ダイヤモンド」として磨くのと同じです。
 そうして、長老たちの策略によって、地球の人間たちはどんどん邪悪になっていきます。

 そこで、地球の人間は、宇宙の創造者であるお方からじきじきに店をぶんどれという指図を受けたとかんちがいした。しかし、人間たちのもたもたしたやりかたを見て、長老たちはじれったくなり、彼らの頭の中に、自分たちこそ宇宙へばらまかれる予定の生物であるという考えを吹きこんだ。

 ちなみに、長老たちは、会合点のすぐそばにあるトラルファマドール星のヒューマノイドたちを感化するのを、とっくにあきらめていた。トラルファマドール星人にはユーモアの感覚があったので、自分たちが頭のおかしいでかぶつとはいわないまでも、ずいぶん大きなハンデを背負ったでかぶつであることを知っていた。長老たちが何キロボルトかのプライドで彼らの脳みそを元気づけようとしても、それにはひっかからなかった。彼らが宇宙の栄光であり、くらべるもののない壮大な規模でほかの惑星に植民する運命をになっているという考えが頭に浮かぶと、みんなで大笑いした。

(同)


 さて、

 しかし、地球の人びとはユーモアがないために、その発想をすんなり受けいれてしまった。

 長老たちから見ると、地球の人びとは、どれほどばかばかしい話でも、自分たちへのお世辞がはいっていればうのみにする傾向があるように思えた。その点をたしかめるため、長老たちはある実験をした。この全宇宙が、彼らそっくりなある大きな雄の動物によって創造されたというアイデアを、地球人の頭に吹きこんだのだ。

 ここの人びとは、この作り話にコロリとだまされた!

 長老たちが地球人に目をつけたもう1つの理由は、彼らが自分と異なった外見を持ち、異なったしゃべりかたをする地球人を恐れ、憎むことだった。彼らは、いわゆる“下等動物”の生活だけでなく、おたがいの生活をも地獄に変えていた。

 長老たちは、最大の王座にすわった創造主が、われわれ同様、よそものを嫌っているから、あらゆる手段を使ってよそものを絶滅すればそのお方のお気にいりになれる、とわれわれに思いこませた。

 この考えは地球で大ヒットした。

 それからほどなく、われわれは宇宙最強の猛毒を作りだし、地球の大気や水や表土を悪臭でみたしはじめた。この作家が匿名なのが残念だが、原文を引用すると ── 「何億兆もの細菌が、このマスタードの辛さに閉口して、死んだり、増殖できなくなったりした」
 しかし、地球のほとんどすべての生物が死に絶えても、少数の細菌だけは生き残り、むしろ隆盛をきわめた。そして、ほかのあらゆる生物が姿を消して、この惑星がとおなじく不毛の地になったとき、その細菌たちは文字どおり破壊不能の胞子として冬眠状態にはいり、まぐれ当たりでつぎの流星が衝突してくるまでの期間を待ちつづけることになった。かくして、ついに宇宙旅行はまさしく実行可能になったのである。

(同)


 まあ、何もかも「やれやれ」です。