ぜひお読みください。とても有益です。

 http://www.ne.jp/asahi/dost/jds/dost133.htm


 だいぶ以前に書きましたが(http://d.hatena.ne.jp/kinoshitakazuo/20081002#p1) ── 、

 ── イプセン作戯曲『民衆の敵』最終第五幕の幕切れで、主人公の医師ストックマンは、「独り立つ者、最も強し。」と断言する。レーニンは、その『民衆の敵』あるいはイプセン作劇詩『ブラント』の「一切か無か。」というような考え方に、語の悪しき意味における『ニイチェ主義』を看取し、そういうイプセンを否定的に批判した。レーニンなりブレヒトなりの尊重・主唱したのが「〈連帯〉の重要性」であることは、疑いない。
 伊藤弁辯士も、「〈連帯〉の重要性」を十二分に認識・尊重する。ただ、彼の確信において、〈連帯〉とは、断じて〈恃衆(衆を恃むこと)または恃勢(勢を恃むこと)〉ではない。彼の確信において、「正しくても、一人では行かない(行き得ない)」者たちが手を握り合うのは、真の〈連帯〉ではないところの「衆ないし勢を恃むこと」でしかなく、真の〈連帯〉とは、「正しいなら、一人でも行く」者たちが手を握り合うことであり、それこそが、人間の(長い目で見た)当為にほかならず、「〈連帯〉とは、ただちに〈恃衆〉または〈恃勢〉を指示する」とする近視眼的な行き方は、すなわちスターリン主義ないし似非マルクス(共産)主義であり、とど本源的・典型的な絶対主義ないしファシズムと択ぶ所がない。

大西巨人『深淵』 光文社文庫


「正しいなら、一人でも行く」という者たちが手を握り合う ── それを私は夢想します。


 私は自分の夢想が現実のものになっているだろうと思います。