「些細なことながら、このようなニュアンスの違いの積み重ねによって読者は、少しずつ、しかし確実に原典から遠ざけられて行く。」その一六


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 おさらいします。

 私がこの一連の記述を通して批判しているのは ──

  一 亀山郁夫自身
  二 亀山郁夫と仕事をした編集者たち
  三 その編集者たちを抱える出版社・放送局
  四 書評、インタヴュー等で亀山郁夫を称揚するひとたち
  五 そうした書評、インタヴューを載せる出版社、放送局、新聞社等
  六 亀山郁夫の仕事の実質も知らずに安易に対談する作家、タレント等
  七 亀山郁夫を批判できずにいるロシア文学界の面々
  八 上記のことをまったく理解せぬまま、亀山郁夫をありがたがる一般読者たち
  九 その他

 ── でした。

 本題に移る前に、私はちょっと寄り道しますが、この一連の記述を読んでいるひとのなかに、やがてこの世のなかの何かを批判する発言を ── たとえばネット上で ── 継続的に行なうことになるひとがいるかもしれません。そのひとは私のいまの停滞ぶり、迷い、逡巡など ── 「ひとりですっと立ってゆ」くことができず、周囲を見回して、誰かの助けを見つけようとしている様子、誰かの罵詈雑言に過剰な反応をしてしまっている様子など ── をよく見ておいた方がいいですよ。きっと参考になるでしょう。あなたは私の方法の拙さとか、気の弱さとか、むら気とか、甘えとか、妥協とか、怠惰とか、何でもいいですから学びとってください。そう断わった上で ── 、私はやはり「のんびりだらだら」行くことにしますけれど。

 さて、私はまたしてもこれまでの発言の繰り返し、これまで通りのことをいう羽目になっています。というか、それだけなんですよ、私のここまでやってきたことは。私はいま延々「もぐら叩き」── あのゲームセンターの(いまもまだあるんでしょうけれど)── をやっているんですね。一時は、この一連の文章の読者(コメントを書いてくれた)の助言 ── 「亀山郁夫現象」ともいうべきものへの批判が多くの読者にとって一種のゴシップ(亀山郁夫対批判者)として括られて(しまうことによって)、それで終わりということになりかねず、本来の批判が損なわれる可能性がある ── もあって、最先端=亀山郁夫訳『カラマーゾフの兄弟』そのものだけをやはり問題にすべきで、社会的現象面における周辺のあれこれは放っておくべきだとも考えたんですが、どうやらそうもいかないようなんです。最先端=亀山郁夫を称揚する発言がいろんなところで後を絶たないからですね。誤訳問題はあるらしいけれど、読みやすいのは間違いない(から最先端=亀山郁夫訳を読むぞ)なんていう読者も増えつづけていますし、そんなひとたちがこの先『カラマーゾフの兄弟』の読者の大多数を占めるなんてことがありうるわけです。また、彼らを先導する役を ── この問題の本質もわからずに ── 何の気なしに請け負ってしまう作家、評論家なども増えつづけている。うんざりしますが、そういうひとたち ── ふつうのひとたちとその先導者たち ── とその増加こそがそもそも最も批判すべきことなんです。そんな状況だから、私はいうべきことをいわなくてはなりません。というか、私はいわざるをえないんです。私には他に選択肢がありません。なぜかはわかりません。ともあれ、私はこれをいわないでいる自分を想像することができません。で、いわざるをえない者だけがいえばいいと思うんです。「正しいなら、一人でも行く」ということです。私は『神聖喜劇』(大西巨人)の東堂太郎や「TheTank man」(天安門事件当時、戦車の縦列を止めようとした一市民)などを思い浮かべますが、自分を彼らのように立派な人間だなんて思っていません。ただ、私が共感するのは、彼らが「せざるをえなかったことをした」というその一点に尽きます。私のいまやっていることがつまらないゴシップとして受け止められるしかないのだとしても、しかたがありません。この批判は絶対につづけられなければならないし、最先端=亀山郁夫のせいで ── 彼が撤退すれば、その他大勢も静かになるでしょう ── 、私はつづけざるをえないんです。
 私はどういう解決を望んでいるのか? 私は、最先端=亀山郁夫が世のなかで「ああ、あの誤読・誤訳のひとね」といわれることを望んでいます。または、「ああ、誤読・誤訳をしたけれど、それを自ら認めて世間に謝罪し、これまでの訳書や著作をみな絶版・回収し、『悪霊』の翻訳も止めて、一から出直したひとね」といわれることを。
 ところが、現時点で最先端=亀山郁夫は『悪霊』の翻訳を着々と進めていて、なんと光文社の「小説宝石」での「短期集中連載」なんてことを始めてしまいました。光文社古典新訳文庫での刊行は今年二〇一〇年末のようです。何の反省もない。最先端だからしかたがないんですが、あらためて「本当に最先端だなあ」と思います。