2010-01-01から1年間の記事一覧

東京書籍からメールが来ました。 木下和郎様謹啓メールのご返信が遅くなりましたこと、お詫び申し上げます。木下様からご指摘いただきました点につきまして、編集委員会で充分吟味いたしました。吟味の結果、一部事実誤認があることを確認いたしました。また…

Friendly World

東京書籍からメールが来ました。 文中に「四月十三日付のメール」とあるのは、前回の文章(四月十二日)を私が夜中に書き、日付が変わってから送信したためです。 木下和郎様謹啓四月十三日付のメールの返信をいただきありがとうございました。今回の件では…

arvo pärt: spiegel im spiegel

東京書籍にメールを送りました。 おさらいですが、まず、問題のこやま峰子の文章を再掲しておきます。 ●清らかな魂の天使はいずこ 一八六〇年代のロシアの地方都市に暮らす父親フョードルは財を築き、美女・グルーシェニカと酒に溺れて暮らしている。長男ド…

東京書籍から返信がありました。 木下和郎様謹啓この度は、『10代をよりよく生きる読書案内 海外編』をお読みいただき、ありがとうございました。また、何度かお問合せをいただいたということで、たいへん失礼いたしました。弊社の一般書お問合せ窓口は下記…

Rising Sun

東京書籍の『10代をよりよく生きる読書案内 海外編』の編集者と電話で話をしました。先の記事を書いた夜、翌朝、また夜に、と私は東京書籍のホームページ上にある「お問い合わせ」から何度もメールを送信しようとしたのですが、いずれもエラーが出てしまっ…

東京書籍という出版社があります。小学校・中学校・高等学校の教科書を作っている会社です。ホームページ、教科書に関してはこちら(http://ten.tokyo-shoseki.co.jp/kyozai2008/menu.html)。 教科書以外にも本を出しています。「東書アクティブ・キッズ」…

Jeff Lynne

おそらく今年中にJeff Lynneの新しいアルバムが出るらしく、それまでは生きていたいと思うんですね。このひとの新作が出るときくたびに「それまでは生きていたい」と、なぜか意識してしまうんです。

「些細なことながら、このようなニュアンスの違いの積み重ねによって読者は、少しずつ、しかし確実に原典から遠ざけられて行く。」その一六

5-(18)-2 つづけます。 「勝手にわたしを見るがいい、とあなたはおっしゃっている。それじゃ、あなたご自身は、どんなふうにその人たちをごらんになるのです?」(ドストエフスキー「チーホンの庵室で」 亀山郁夫訳「現代思想」四月号増刊「総特集=ドス…

「些細なことながら、このようなニュアンスの違いの積み重ねによって読者は、少しずつ、しかし確実に原典から遠ざけられて行く。」その一六

5-(18)-1 さて、「現代思想」四月号増刊「総特集=ドストエフスキー」(青土社)のすごいところをちょっとだけ ── しかし、長くなりそうな予感がして嫌なんですが ── 解説しますか。 目玉はやっぱり最先端=東京外国語大学学長=亀山郁夫大先生による、…

「些細なことながら、このようなニュアンスの違いの積み重ねによって読者は、少しずつ、しかし確実に原典から遠ざけられて行く。」その一六

5-(17) いやー、今日やっと買ったんだー。出たのは知ってたんだけどさー、「現代思想」4月号増刊「総特集=ドストエフスキー」。亀山郁夫+望月哲男の責任編集だよー。 それで、ちょっとだけ読んでみたんだけど、すごいぞー。 どうすごいかっていうと、そ…

「些細なことながら、このようなニュアンスの違いの積み重ねによって読者は、少しずつ、しかし確実に原典から遠ざけられて行く。」その一六

5-(16) 高村薫が感染し、村上春樹も、柴田元幸も、ロシア文学の学者たちも、さらには、出版社や新聞社やテレヴィ局などのマスメディアや、それからまた多くの読者や、もちろんこの私も感染している「ペスト」について ── 翻訳に不満がないわけではないで…

「些細なことながら、このようなニュアンスの違いの積み重ねによって読者は、少しずつ、しかし確実に原典から遠ざけられて行く。」その一六

5-(15)- 3 ── ごくごく控えめに、私の怒りのほんのわずか一部だけを ── 敢えて乱暴ないいかたをしてみるなら ── 破裂させてみましたが、それはさておき、もう一度高村薫です。 極端なことを言えば、私にとって小説はストーリーではない。文体でつくられる…

「些細なことながら、このようなニュアンスの違いの積み重ねによって読者は、少しずつ、しかし確実に原典から遠ざけられて行く。」その一六

5-(15)- 2 高村 七月にお目にかかったときに、何に驚いたかといって、ドストエフスキーはもともと悪文で、どのようにも翻訳できるのだ、とお聞きしたことです。 亀山 ものすごく気分屋なんですね。癲癇症状の末期と分かるような文体が時々現れる。一文の…

「些細なことながら、このようなニュアンスの違いの積み重ねによって読者は、少しずつ、しかし確実に原典から遠ざけられて行く。」その一六

5-(15)- 1 雑誌「文学界」(文藝春秋)二月号での「新春特別対談」は、題して「カタストロフィ後の文学 ── 世界と対峙する長篇小説」。対談したのは高村薫と最先端=亀山郁夫。このふたりが対談したのは二度め(最初が毎日新聞社主催で二〇〇九年七月。こ…

「些細なことながら、このようなニュアンスの違いの積み重ねによって読者は、少しずつ、しかし確実に原典から遠ざけられて行く。」その一六

5-(14) 朝日新聞(二〇一〇年一月三十一日)の「本の舞台裏」という記事にこうありました。 名著の新訳はプロに ヘーゲルの『精神現象学』(長谷川宏訳)、ドストエフスキーの『罪と罰』(亀山郁夫訳)など、ここ10年ほど古典名著の新訳出版が活況を呈し…

「些細なことながら、このようなニュアンスの違いの積み重ねによって読者は、少しずつ、しかし確実に原典から遠ざけられて行く。」その一六

5-(13) 昨年十二月に放映されたテレヴィ・ドキュメンタリー「ベストセラー解剖学〜「1Q84」とベストセラーの変遷〜」(wowow)の最後は、番組内でそれまでに発言していた十数名に対する「あなたにとってベストセラーとは?」への各人の回答でした。 …

「些細なことながら、このようなニュアンスの違いの積み重ねによって読者は、少しずつ、しかし確実に原典から遠ざけられて行く。」その一六

5-(12) ここで、この問題のまたべつの側面。「権威」とされているテレヴィだのラジオだの新聞だの雑誌だののマスメディアにはまだまだ大きい影響力があるにせよ、実は、その力は確実に低下してきてもいます。インターネットが登場したからです。 松沢呉一…

「些細なことながら、このようなニュアンスの違いの積み重ねによって読者は、少しずつ、しかし確実に原典から遠ざけられて行く。」その一六

5-(11) またも、おさらいです。 この一連の文章の最初で、私は光文社文芸編集部編集長駒井稔を「大馬鹿者」といい、こう書いたんでした。 それとも、彼はこう考えているんでしょうか? 読者なんてどうせ馬鹿だから、誤訳だらけの新訳であろうが、彼らが喜…

「些細なことながら、このようなニュアンスの違いの積み重ねによって読者は、少しずつ、しかし確実に原典から遠ざけられて行く。」その一六

5-(10) さて、「順応の気構え」のできたふつうのひとたちにとっては、この最先端=亀山郁夫問題が単に「表面的な(つまり、些細な)誤訳」問題としか受け止められていないんですね。彼らは、個々の誤訳さえ正されれば、それでいいというくらいにしか思っ…

「些細なことながら、このようなニュアンスの違いの積み重ねによって読者は、少しずつ、しかし確実に原典から遠ざけられて行く。」その一六

5-(9) 私はいっておきますが、テレヴィだとかラジオだとか新聞だとか雑誌だとか、そんなものをあんまり無条件に ── 「権威」として ── ありがたがるのはもうやめましょうよ。これを私がいいます。まさかこの人生で自分がテレヴィだとかラジオだとか新聞…

「些細なことながら、このようなニュアンスの違いの積み重ねによって読者は、少しずつ、しかし確実に原典から遠ざけられて行く。」その一六

5-(8) さて、「ある空漠たる恐怖に捕えられ」 ── です。 私はここで大西巨人の『神聖喜劇』から長い引用をします。その前にちょっとだけ説明(そしてまた引用)しておきますが、この作品の主人公=語り手である東堂太郎は、軍隊の初年兵教育のはじめに経…

「些細なことながら、このようなニュアンスの違いの積み重ねによって読者は、少しずつ、しかし確実に原典から遠ざけられて行く。」その一六

5-(7) しかし、その「引用」──「ある空漠たる恐怖に捕えられ」── の前に佐藤優。彼の最近の発言(二〇〇九年十月刊)から。 亀山郁夫氏の訳は、従来の訳に較べ、格段と正確でかつ読みやすい。実は神を信じていないドストエフスキーの本心が透けて見える…

「些細なことながら、このようなニュアンスの違いの積み重ねによって読者は、少しずつ、しかし確実に原典から遠ざけられて行く。」その一六

5-(6) こう考えてくると、そんな哀れな最先端よりもずっと罪深いひとたちがいることがわかりますよね。つまり、たとえば、NHKであり、東京外国語大学であり、村上春樹です。その他にもたくさんなんですが、きりがない。 で、NHK。そのなかに、もう…

「些細なことながら、このようなニュアンスの違いの積み重ねによって読者は、少しずつ、しかし確実に原典から遠ざけられて行く。」その一六

5-(5) 最先端=亀山郁夫批判の難しさというのは、こういうことです。まず、『カラマーゾフの兄弟』という小説(最先端=亀山郁夫訳以外。なぜなら最先端=亀山郁夫訳は偽物だから)を読んだことのあるひとが非常に少ない。しかも、そのひとたちの大半は…

「些細なことながら、このようなニュアンスの違いの積み重ねによって読者は、少しずつ、しかし確実に原典から遠ざけられて行く。」その一六

5-(4) 私の停滞のせいで、もうすでに古い話題としか受け止めてもらえないかもしれないんですが、しばらく前からネット上では話題になっていた ── 「アニリール・セルカン経歴詐称、業績捏造の追求 blog」(http://blog.goo.ne.jp/11jigen/e/51dea8f84d63…

「些細なことながら、このようなニュアンスの違いの積み重ねによって読者は、少しずつ、しかし確実に原典から遠ざけられて行く。」その一六

5-(3) おさらいします。 私がこの一連の記述を通して批判しているのは ── 一 亀山郁夫自身 二 亀山郁夫と仕事をした編集者たち 三 その編集者たちを抱える出版社・放送局 四 書評、インタヴュー等で亀山郁夫を称揚するひとたち 五 そうした書評、インタ…

「些細なことながら、このようなニュアンスの違いの積み重ねによって読者は、少しずつ、しかし確実に原典から遠ざけられて行く。」その一六

5-(2) 大西巨人の作品から引用。 その夜そのあとの雑談の中で、また義人は、「各人の弱みや卑劣さをたがいに薄ぎたなくいたわり合って衆を恃むような消極的連帯」ではなく、「ひとりですっと立ってゆ」く各人の積極的連帯が出来上がらなければならない、…