東京書籍からメールが来ました。

木下和郎様

謹啓
メールのご返信が遅くなりましたこと、お詫び申し上げます。
木下様からご指摘いただきました点につきまして、編集委員会で充分吟味いたしました。
吟味の結果、一部事実誤認があることを確認いたしました。また、文章表現につきましても、ご指摘のように読者対象が中高生であることを考えますと、不十分な点がいくつか見られるとの判断をいたしました。
訂正につきましては、前回の繰返しで恐縮ですが、直接お会いしてお話しさせていただけますことを願っております。
しかし、ご面会がお許しいただけないのであれば、訂正につきましては、弊社の判断ですすめさせていただきます。
どうかお時間をいただけますよう、ご配慮のほど、重ねてお願い申し上げます。
敬具

二〇一〇年四月二十三日

東京書籍株式会社
出版事業部
植草武士
 


 私からの返信。

 東京書籍 植草武士さま

 メールをありがとうございます。

 なぜ私があなたがたに面会しなければならないのか、まったくわかりません。訂正は、あなたがたの判断で進めたらいいじゃないですか? 私としては、訂正されたものがおかしければ、また批判するまでのことです。

 それにしても、あなたがたは、私へのメールが公開されることを承知していながら、どうしてこうもことばを惜しむのでしょうか? いいですか? あなたがたの回答を不特定多数のひとが読んでいるし、これからも読むことになるんですよ。現時点で、「10代をよりよく生きる読書案内」・「海外編」という単語の組み合わせで検索すると、グーグルでは、私の「連絡船」がトップに表示されるんですが、わかっていますか? これは御社の信頼問題なんですよ。本当にわかっているんですか?

 あなたがたは「編集委員会で充分吟味いたしました」ということの内容と経緯を公開すべきではないですか?

 また、私は、『赤毛のアン』の紹介文についても言及しました。あれでは、読者に笑われるだけだということがわからないんですか? つまり、こやま峰子がこの本の編著者としてまったく不適任だということをいっているんです。作品への愛も、理解もない。おそらく、他の作品の紹介文章もそうなんじゃないですか? そのことが「編集委員会で充分吟味いたしました」ということに含まれていますか?

 そういう反省のないひとたちに「10代の人たちに書物の広大な世界を伝え、読書の楽しさを伝えることを主眼とし」、「海外の翻訳作品および、国内作品が今後も広く読み継がれていくことを願って」いるだなどという資格はありません。というか、あなたがたはこのことを一から考え直す必要があるのじゃないですか?

 ここで、また亀山郁夫の仕事について触れますが、私は彼が彼の翻訳作品についてどれほど表面上の訂正を入れようとも否定します。彼には無理だからです。つまり、彼があまりにも無能・無理解・無責任であるからです。私が彼に望むのは、彼のドストエフスキー翻訳および論文の撤回と絶版・回収です。『10代をよりよく生きる読書案内 海外編』におけるこやま峰子も同じ。

 さて、このことはぜひお返事いただきたいのですが、あなたがたがこれから「訂正」をされるとして、すでに配本されたものについては、どうされるのでしょう? 回収についてです。まさか、初版はそのまま回収せず、重版分からの訂正でいいとされるのではないですよね?「10代の人たちに書物の広大な世界を伝え、読書の楽しさを伝えることを主眼とし」、「海外の翻訳作品および、国内作品が今後も広く読み継がれていくことを願って」おられるなら、回収はしますよね? もし回収がされるなら、書店員である私にはすぐにわかります。

 繰り返しますが、不特定多数の読者が、あなたがたの回答に注目しています。

木下和郎