2010-03-01から1ヶ月間の記事一覧

Jeff Lynne

おそらく今年中にJeff Lynneの新しいアルバムが出るらしく、それまでは生きていたいと思うんですね。このひとの新作が出るときくたびに「それまでは生きていたい」と、なぜか意識してしまうんです。

「些細なことながら、このようなニュアンスの違いの積み重ねによって読者は、少しずつ、しかし確実に原典から遠ざけられて行く。」その一六

5-(18)-2 つづけます。 「勝手にわたしを見るがいい、とあなたはおっしゃっている。それじゃ、あなたご自身は、どんなふうにその人たちをごらんになるのです?」(ドストエフスキー「チーホンの庵室で」 亀山郁夫訳「現代思想」四月号増刊「総特集=ドス…

「些細なことながら、このようなニュアンスの違いの積み重ねによって読者は、少しずつ、しかし確実に原典から遠ざけられて行く。」その一六

5-(18)-1 さて、「現代思想」四月号増刊「総特集=ドストエフスキー」(青土社)のすごいところをちょっとだけ ── しかし、長くなりそうな予感がして嫌なんですが ── 解説しますか。 目玉はやっぱり最先端=東京外国語大学学長=亀山郁夫大先生による、…

「些細なことながら、このようなニュアンスの違いの積み重ねによって読者は、少しずつ、しかし確実に原典から遠ざけられて行く。」その一六

5-(17) いやー、今日やっと買ったんだー。出たのは知ってたんだけどさー、「現代思想」4月号増刊「総特集=ドストエフスキー」。亀山郁夫+望月哲男の責任編集だよー。 それで、ちょっとだけ読んでみたんだけど、すごいぞー。 どうすごいかっていうと、そ…

「些細なことながら、このようなニュアンスの違いの積み重ねによって読者は、少しずつ、しかし確実に原典から遠ざけられて行く。」その一六

5-(16) 高村薫が感染し、村上春樹も、柴田元幸も、ロシア文学の学者たちも、さらには、出版社や新聞社やテレヴィ局などのマスメディアや、それからまた多くの読者や、もちろんこの私も感染している「ペスト」について ── 翻訳に不満がないわけではないで…

「些細なことながら、このようなニュアンスの違いの積み重ねによって読者は、少しずつ、しかし確実に原典から遠ざけられて行く。」その一六

5-(15)- 3 ── ごくごく控えめに、私の怒りのほんのわずか一部だけを ── 敢えて乱暴ないいかたをしてみるなら ── 破裂させてみましたが、それはさておき、もう一度高村薫です。 極端なことを言えば、私にとって小説はストーリーではない。文体でつくられる…

「些細なことながら、このようなニュアンスの違いの積み重ねによって読者は、少しずつ、しかし確実に原典から遠ざけられて行く。」その一六

5-(15)- 2 高村 七月にお目にかかったときに、何に驚いたかといって、ドストエフスキーはもともと悪文で、どのようにも翻訳できるのだ、とお聞きしたことです。 亀山 ものすごく気分屋なんですね。癲癇症状の末期と分かるような文体が時々現れる。一文の…

「些細なことながら、このようなニュアンスの違いの積み重ねによって読者は、少しずつ、しかし確実に原典から遠ざけられて行く。」その一六

5-(15)- 1 雑誌「文学界」(文藝春秋)二月号での「新春特別対談」は、題して「カタストロフィ後の文学 ── 世界と対峙する長篇小説」。対談したのは高村薫と最先端=亀山郁夫。このふたりが対談したのは二度め(最初が毎日新聞社主催で二〇〇九年七月。こ…

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5-(14) 朝日新聞(二〇一〇年一月三十一日)の「本の舞台裏」という記事にこうありました。 名著の新訳はプロに ヘーゲルの『精神現象学』(長谷川宏訳)、ドストエフスキーの『罪と罰』(亀山郁夫訳)など、ここ10年ほど古典名著の新訳出版が活況を呈し…

「些細なことながら、このようなニュアンスの違いの積み重ねによって読者は、少しずつ、しかし確実に原典から遠ざけられて行く。」その一六

5-(13) 昨年十二月に放映されたテレヴィ・ドキュメンタリー「ベストセラー解剖学〜「1Q84」とベストセラーの変遷〜」(wowow)の最後は、番組内でそれまでに発言していた十数名に対する「あなたにとってベストセラーとは?」への各人の回答でした。 …

「些細なことながら、このようなニュアンスの違いの積み重ねによって読者は、少しずつ、しかし確実に原典から遠ざけられて行く。」その一六

5-(12) ここで、この問題のまたべつの側面。「権威」とされているテレヴィだのラジオだの新聞だの雑誌だののマスメディアにはまだまだ大きい影響力があるにせよ、実は、その力は確実に低下してきてもいます。インターネットが登場したからです。 松沢呉一…

「些細なことながら、このようなニュアンスの違いの積み重ねによって読者は、少しずつ、しかし確実に原典から遠ざけられて行く。」その一六

5-(11) またも、おさらいです。 この一連の文章の最初で、私は光文社文芸編集部編集長駒井稔を「大馬鹿者」といい、こう書いたんでした。 それとも、彼はこう考えているんでしょうか? 読者なんてどうせ馬鹿だから、誤訳だらけの新訳であろうが、彼らが喜…

「些細なことながら、このようなニュアンスの違いの積み重ねによって読者は、少しずつ、しかし確実に原典から遠ざけられて行く。」その一六

5-(10) さて、「順応の気構え」のできたふつうのひとたちにとっては、この最先端=亀山郁夫問題が単に「表面的な(つまり、些細な)誤訳」問題としか受け止められていないんですね。彼らは、個々の誤訳さえ正されれば、それでいいというくらいにしか思っ…