(一二)


 大西巨人神聖喜劇』の語り手、昭和十七年はじめに初年兵教育を受けている東堂太郎は軍の上官に睨まれる・嫌われる・うっとうしがられる(睨まれざるをえない・嫌われざるをえない・うっとうしがられざるをえない)ような人物で、そのために、彼の言動はいろいろな悶着となる・ならざるをえないことになるんですが、重砲の操作を教育されるなかで、その彼がこういうことを思うんですね。

 そして大前田が私についてたとえば「お前の操作にゃ、どうしてもやっぱり軍人精神が入っとらんぞ。」と批判するとき、── そんな「軍人精神」などは、私の操作に「入っとらん」にきまっている(私の操作に「入っと」るのは、別の「精神」である)……


 日に何度となく、このことを考えます。