『予告された殺人の記録』

(G.ガルシア=マルケス 野谷文昭訳 新潮文庫

 自分が殺される日、サンティアゴ・ナサールは、司教が船で着くのを待つために、朝、五時半に起きた。


 いまこの原稿を書くために何箇所も読み返していて、ふと自分はこの作品をちゃんと読み込んでいなかったのではないかと不安になりました。しかし、それは私がこの原稿に書こうと思っていたこととまったく矛盾はしないんです。そればかりか強化までしてくれるはずのものです。私が書こうと思っていたのは、この作品はいわゆる「ネタばれ」ということを全然心配しないですむものだということ、それがこの作品の本質なんだということです。次になにが起こるかすべて承知していても、読み手はこの作品に溺れてしまうんじゃないかと思います。素材としてのすべての情報を把握していながらも、これが作品として再び語られるのを聴くとき、ばらばらの素材が不意に思いもかけない装いで立ち上がり、そろって踊りはじめるのを感じることになるでしょう。「次になにが起こるか」ではなく、すでに承知のあれが「どのようにあらわれるか」ということで、おそらく何度読んでも、そのたびに楽しめるはず。

 上に引用したのがこの作品の書き出しで、繰り返しますが、

 自分が殺される日、サンティアゴ・ナサールは、司教が船で着くのを待つために、朝、五時半に起きた。


 ページをめくると、こういう文章もあります。

 ……彼は六時五分過ぎに家を出たのだが、それから一時間後、豚のように滅多切りにされるまでに出会った多くの人々は、彼がいくらか眠そうだったが機嫌はよかったことを覚えていた。


 あるいはもっと先には

 サンティアゴ・ナサールは、最後の一センチまで確かめようとした。そして、生きている間に、そうすることができた。実際彼は、翌日船着き場で、クリスト・ベドヤから最終的な数字を聞いて、バヤルド・サン・ロマンの予言が正しかったのを確かめることができたのだ。死ぬ四十五分前のことである。


 また、

 彼らは、わたしたちと一緒に酒を飲み、サンティアゴ・ナサールと声を合せて歌をうたっていた。彼を殺す五時間前のことである。




 語り手の「わたし」が二十年以上も前のある事件について語ります。「わたし」の友人サンティアゴ・ナサールが殺された事件です。それは「わたし」のいとこが花嫁として町じゅうから祝福された盛大な結婚式の翌朝で、殺したのは花嫁の兄二人でした。この殺人の起こることは町じゅうのひとが事前に知っていました。殺された本人でさえ知っていたんです。そして、どうやら殺した方も「人に見られず即座に殺すのに都合のいいことは、何ひとつせず、むしろ誰かに犯行を阻んでもらうための努力を、思いつく限り試みたというのが真相らしい」んです。それはなんだ? それならどうしてそのまま殺人が行なわれたのか?

 作品は五つの章(章と名がついているわけではありませんが)に分かれています。はじめの章の終わりはこうです。

「もう心配しなくていいんだ、ルイサ・サンティアガ」と、その人間はすれ違いざまに大声で言った。「殺されちまったよ」


 三つめの終わりは

 尼僧の妹が、大急ぎで僧服を着ながら寝室に入ってきて、狂ったように大声で彼を起こした。
サンティアゴ・ナサールが殺されたのよ!」


 なんとなく全体の構成がわかってきましたか?

 四つめのはじまりはこうです。

 ナイフの傷は、カルメン・アマドール神父による無慈悲な検死解剖の手始めのようなものだった。ディオニシオ・イグアラン医師がいなかったため、彼がその仕事を引き受けなければならなかったのだ。「一度死んだ人間を、もう一度殺すようなものでしたよ」とかつての教区司祭は、カラフェルの保養所でわたしにそう言った。


 で、二つめの終わりがどうかというと、

 彼女は、ほとんどためらわずに、名前を挙げた。それは、記憶の闇の中を探ったとき、この世あの世の人間の数限りない名前がごたまぜになった中から、真っ先に見つかったものだった。彼女はその名に投げ矢を命中させ、蝶のように壁に留めたのだ。彼女がなにげなく挙げたその名は、しかし、はるか昔からすでに宣告されていたのである。
サンティアゴ・ナサールよ」彼女はそう答えた。


 これで殺されるべき人間がサンティアゴ・ナサールだということが決定されるわけです。

 そして五つめの章で、とうとうサンティアゴ・ナサールの殺されるさまが描かれることになります。これが実にむごたらしい。


 不幸な偶然がなぜこんなにも重なったのか、誰にも解らなかった。


 と、はじめの章にありますが、そこでちらりと触れられる検察官のことが終章でも語られます。でも、その前に彼の作成した調書を「わたし」が事件から二十年後にどのようにして入手したかを引用しておきましょう。

 事件から二十年後、リオアチャの裁判所でその調書を捜すのに、わたしは大勢の人々の世話になった。資料室にはなんの分類もなく、かつて二日ほどフランシス・ドレイクの総司令部になり、今はすっかり老朽化した植民地時代の建物の床に、一世紀分以上の資料が山積みされていた。一階は高潮のために水浸しになり、表紙が取れてばらばらになった書類が漂っていた。わたしは自らくるぶしまで水に浸かりながら、何度となく敗訴となった事件の書類の池の中を調べて歩いた。そして五年間捜しあぐねた末、あるとき偶然にも、五百枚を越えていたはずの調書のうち、散逸を免れたおよそ三百二十二枚分を見つけることができたのだった。


 いやあ、どうですか?

 さて、

 検察官の名はどこにも見当らなかった。とはいえ、それが文学に熱を上げている人間であることは明らかだった。彼がスペインの古典やラテンのいくつかを読んでいることは確実だったからだ。それに彼は、当時の司法官の間で流行りの作家だったニーチェをよく知っていた。本文に添えられた傍注は、インクの色のせいもあるが、まるで血で書かれているように見えた。彼は自分がたまたま手がけることになった謎に当惑するあまり、仕事の厳格さとは裏腹に、ちょくちょく、叙情的ともいえる気晴らしをしている。別けても、彼が絶えず不当と感じていたのは、……


 さあ、それは、文学に熱を上げていた検察官、「彼が絶えず不当と感じていたのは」

 文学には禁じられている偶然が、人々の間でいくつも重なることによって、あれほど十分に予告された殺人が、行なわれてしまったことだった。


 まったく、ここを書いたときの作者のにやりとした顔が浮かんでくるようです。文学上の常識を逆手にとり、予告されていて、しかも実際に起こってしまった殺人事件の様子を彼は文学作品にしてしまったわけです。それも、こんなに見事に。

(二〇〇四年三月の文章に加修正)