『夏の闇』

開高健 新潮文庫

 氷雨にうたれるまま何時間もすわったきりだったので、たちあがると体のあちらこちらが音をたてた。しかし、もういい。大丈夫だ。私は更新された。簡潔で、くまなく充填され、確固としている。



 エピグラフには

 ……われなんじの行為(おこない)を知る、
 なんじは冷(ひやや)かにもあらず熱きに
 もあらず、われはむしろなんじ
 が冷かならんか、熱からんかを
 願う。


 と『黙示録』のことばが引かれています。
 これはドストエフスキーもたとえば『悪霊』で引用していることばですが、ある種の無感覚の人間への非難というふうに考えてもらえばいいと思います(と、簡単にいいましたが、現代文学にはこのテーマの作品がどっさりあるはずです。もちろん開高健だってそのことは承知です。それでもあえてこれを引っぱってくるからには相当の勇気と覚悟と自信があったんじゃないでしょうか。それにしても、このことばはドストエフスキーを通じて読むかどうかによって、重みが全然変わるでしょう。そうやって、はるかに重量のかかったことばとして、後進の作家たちは引用するんだと思います。かりにドストエフスキーを読んでいなくても、現代作家がこの引用をするとき、彼は無自覚なままドストエフスキーを経た意味をもたせているはずです。ドストエフスキー以後とはそういうことだと思うんですね)。

 そのような無感覚の状態に語り手の「私」もいます。そうして、

 その頃も旅をしていた。
 ある国をでて、べつの国に入り、そこの首府の学生町の安い旅館で寝たり起きたりして私はその日その日をすごしていた。季節はちょうど夏の入り口で……


 というのが書き出しで、おそらくはパリにいる「私」はほとんど寝てばかりいます。そこへ昔つきあっていた女が訪ねてくるんですが、彼女はかつて「ほとんど無一文のままで日本を去った」後、

 いくつもの国を渡り歩き、国を変えるたびに手紙をよこした。それによって私は女が日本商社のタイピストをしていることや、キャバレーのタバコ売り娘をしていることや、やがて奨学金をもらえるようになって学生にもどったこと、イギリス人の若い原子科学者に結婚を申込まれたこと、ドイツ系アメリカ人の言語学者と恋をしていることなどを知らされた。文面からするかぎり女はいつも不屈で、勤勉、精悍、好奇心にあふれるまま前進し、国から国へ移動し、生を貪ることにふけっていた。


 ──のでした。

 ふたりは「私」の部屋に引きこもることになります。「私」は性交するほかは寝てばかりいて、女が外に買い出しに出ます。ある意味で対照的な組み合わせのふたりということです。なにしろ彼女は夢中で性交し、しゃべります。彼女は輝いています。

「私」は彼女にこういうことをいいます。

「おねがいが一つある」
「なあに?」
「ママゴトでやってほしいんだ」
 いってから私は口をつぐみ、タバコに火をつけた。女は私の狼狽に気がついたようではなかった。つきでた高い胸のしたに腕を組み、首を少しかたむけ、夢中のまなざしで堂々と微笑していた。ママゴトにしてほしい。ピッツァも、デッキ・チェアも、搾菜麺も、チャプスイも、ママゴトにしてほしい。それ以上のものにも以下のものにも、できたら、しないでほしい。血を見ることになる。ふたたび繰りかえすことになる。私はそういいかけて口をとざしたのだ。


 ふたりは今度は国を移動し、彼女の部屋で生活します。「私」はやはり寝てばかりいます。それで、あいかわらずこう考えるんです。

 女がこの部屋に家の匂いをつけ、主婦のそぶりになじむことを私は恐れている。一瞬でもそれをさきへひきのばし、遅らせ、避けようとしているのだ。朦朧のなかにあの胸苦しさを予感しているのだ。


 あるとき「私」は女がこの十年間の苦労のうちにひそかに買いためてきた戦利品ともいうべき品々を見せられます。

 女は地下室までいって、そこの物置室に入れてある品を一つ一つ腋にかかえて部屋に持ちこみはじめた。ハイ・ファイ・アンプ。掃除機。ミキサー。デンマーク製ランプ。靴。靴。靴。羊皮のコート。アザラシのコート。それらの物をまるでデパートの特選品売場のように女は床いっぱいにならべ、音波洗濯機と冷蔵庫はうごかせないのでおいてきたといった。そしてまんなかにたつと、テレビ、ヤクの皮、タイプライター、室内全体をゆっくり腕をふってさしてみせ、ひっそりとつぶやいた。
「みんな私の物よ。買ったの。タクシーにものらないで、お茶もケチって、買ったの。どうオ。見てよ。がんばったでしょ?」
 誇りとも苦笑ともつかず女は微笑した。いま が女の全身をみたし、輝きながらあふれだしてきて、ふちでふるえていた。女は足を少しひらいてたち、一つ一つの物を指さして、どうやって買ったか、苦心談を話しはじめた。


 さて、ここからです。「私」はとんでもないことに気づくんです。長い引用をつづけます。

 そのときになってやっと私に一つのことが見えてきた。女の孤独が十年間にどれだけの物を分泌できるかについての愕きはひっそりと後退していき、ある荒寥がくっきりとあらわれてきたのである。女は子供かペットの群れにかこまれたように感じて微笑していたが、まったく剥離しているのである。

 さきほどの食事のときの皿や、鍋や、茶碗などは傷や垢を持っていたが、それでもおなじ気配をひそませていた。浴槽、ガラス壁、バルコン、この室全体、体のまわりのすべての事物について女は何の影響も与えることができないでいた。事物は触れられ、握られ、使用され、効果を生むが、女は事物から事物へしなやかにすべっていくだけで、事物は女の指のしたで金にもならず、灰にもならず、寡黙だがいきいきした小動物にもならないのである。指とたわむれたり、すねたり、からみついたり、かけよったりしようとしないのである。この室に十年棲もうが二十年棲もうが、清潔を保とうが汚そうが、女がでていくときは、室ははじめて女が入ってきた日とおなじたたずまいでいることと思われる。女は室に棲んでいながら、棲んでいないようなものなのである。事物について主人なのではなく、間借人なのである。だからあの赤いレインコートも糸がすりきれ、型がくずれ、皺だらけになるまで使いこなされていながら女の皮膚とはならなかったし、犬にもならなかったのである。ていねいに折ってソファにおかれても犬がまなざしや、声や、手を待ちうけるようなそぶりで女を待つことはないのである。


 そう考えながらも、「私」は女に話しかけられると、痛ましいですが、こんなふうにこたえます。

「ねえ。ちょっと凄いでしょう?」
「よく似合う」
「私もそう思ってるのよ」
「いい買物だよ」
「誰かにそういってもらいたかったの」


 さて、このすぐあとに「私」が思い出していることがあります。

 何年も前に私は蛙呑み男の公園のそばで一人の若い画家と知りあいになった。九州出身だということのほかに私は何も彼について知らない。彼は自分を画家と呼んでいたが、彼が絵を描いているのを私は見たことがない。絵と女についてはえぐりたてるような直感のある話ができ、その話しかできず、ほかのことについて喋らせると小学生なみの知識しか持っていなかった。私たちは毎日顔をあわせ、酒場の椅子に埋没して酒をすすりつつ、道をいく女たちの眼や腰を眺めて放埓な冗談をとばして脂っぽく笑ってばかりいた。


 彼はひどい貧乏をしていて、カンヴァスを買う金もなく、「一日に半度か、二日に一度半ぐらいしか食べていない」んですが、「女についてはいい腕をしていた」。

 その酒場に彼をさがしにあらわれる女の顔がいつもちがった。それはお針子や、デパートの売子や、小学校の教師などだったが、彼は男根を提供し、女たちはサンドイッチやハンバーガーを提供することになっていた。

 あるとき彼の部屋へ私は連れていかれたことがある。それは階段下の女中部屋よりまだひどい物置小屋で、じめじめし、正体のわからない腐臭がたちこめていた。


 その薄暮頃の暗がりのなかに床といわず、壁といわず、彼があちらこちらで拾ってきたガラクタが山積されている。便器の蓋。自転車の車輪。ドアの取手。ガス管のきれっぱし。水道栓。馬蹄。ありとあらゆる種類の自動車の部品。つぶれたモンキーや、ジャッキや、ハンマーなどもあった。彼はつい一昨日見つけてきたばかりなのだといってイタリア・センベイを焼く鉄のうちわのようなものをとりだしてきて私に見せた。どこか駅裏のゴミ捨場に落ちていたものではあるまいかと思う。
「いいなあ。これなあ。そう思いませんか。凄いじゃないか。ちょっとこういう真似は出来ないよナ。ほれぼれしてくるなあ。おまんことどちらがいいだろ」
 暗がりのなかで彼は声をひそめ、眼を細くして、何度となくそのこわれたセンベイ焼きを愛撫した。上に下に、右に左に、ゆっくりと、またせかせかと、皮と骨だけになった手で撫でまわした。心底から彼は感動していて、ほとんど射精しそうになっているのではあるまいかと思われた。盲人の手のようにみだらなほどの執念、強力さ、嗜慾をこめて彼はその古鉄を撫でまわし、私がよこにいることを忘れてしまった。その手と古鉄を眺めているうちに私は一撃をうけたのである。赤錆びでゴワゴワになった古鉄の円板がふいに形からぬけだすのを感じたのである。汚穢と風化のさなかでとつぜん古鉄が柔らかくなり、優しくなり、彼の手にじゃれついたり、媚びたり、体をくねらせたりするのが見られた。ある王はその指にふれる事物ことごとくを金に変えたと伝えられるが、彼は生物に変えてしまうのだった。私にはそれができない。何度試してみたかしれないが、ただ事物に指紋をつけるだけのことである。私は事物を見てもいなければ、握ることもできないのである。数日後に私は股引をぬいで彼に贈ってから空港へいったのだが、記憶はいつまでものこった。


 ここを読んで「あっ」と思いました。それまで八十ページほどを読んできて、ここに来て突然、この小説がただものではないことが了解された、という感じでした。あ、おれはもっと真剣にこの作品に向き合わなくてはならないぞ、というふうに。

 ここではいままであれほど輝いていたと見えた女も「私」と同じく「事物に指紋をつけるだけ」しかできないということが判明したわけです。そして、女にはその自覚がない。「私」にはある。しかも、「私」はずっとこの自覚のもとにいろいろ考えつづけていたはずです。そういう「私」だから、作品の冒頭からずっと横になったままなんですね。行き詰まりを感じている。絶望している。これから自分がどうしたらいいか、まったくわからない。しかし、自分の絶望については精通しているわけです。それを避けることができない。目をそらすことができないんです。

 私は、こういう「無感覚の人間への非難」を扱った小説をずいぶん読んできたようなつもりでいたんですが、それでも「あっ」と思ったわけなんです。「あっ」と思ったとたんに、これは単純に私の知っているつもりの〈「無感覚の人間への非難」を扱った小説〉ではなくなったということですね。

(二〇〇三年十月の文章に加修正)