『野いばらの衣』

三木卓 講談社文芸文庫

「ですが、駄目になるなら徹底的に駄目になっていただきたい。ずっとずっと、何の益もない、つまらぬ存在になりさがっていただきたい。そうなったあなたに出会った人が、すれちがって数秒したらもう何もおぼえていないような者になってほしい。そのためには、よろこんで手をお貸ししますし、あなたの足をもってひきずりおろしもしますよ。わたしはきっと泣きながらやるでしょう」



 この作品を読みながら私についてまわったのは、作者が最初から最後まである一点をじっと見据えてその視線を絶対にそらさないでいるという感じでした。それは、そこにそんな一点のあることを誰も気づかないでいるのに、作者にだけは見えていて、彼が凝視するにつれてその微妙な様相や秘密が次第に浮き上がってくる、とでもいう感じです。

 ちょうどある人物について語り手「わたし」がこんなふうに考えもしています。

 もしかすると亜矢は、自分を完膚なきまでに支配して来た世界に対して、形態としては比較計量など到底不可能であるような微小な場ではあるけれども、その意義において充分拮抗し得るか、あるいは凌駕することすら可能であるような場を得たのかもしれない。


 こう他人を観察できる「わたし」はこういうことのいわば専門家なんですね。彼は特権的にそういうことに通じています。彼の考えでは、その特権は彼が肢体不自由者だからです。彼は小児麻痺のために左足が不自由です。高校では、そのために体育の授業を受けられずにある事件を起こしています。木宮という体育教師を刺そうとしたのでした。その後、彼は写真の仕事をしています。妻は他の男との旅行に出て、飛行機事故で死んでいます。彼はまた、女子体操の演技を写真に──公式な依頼を受けて──撮りつづけてもいます。けれども、まあ、筋についてはあまり触れなくていいでしょう。

「わたし」は以前の事件の相手、木宮と再会し、体操のオリンピック候補選手であるその娘とも関わっていくことになります。

 わたしは、木宮先生に反抗したわけですけれど、その時一番おそろしかったことは、反抗している自分の方に誤りがある、という意識から逃れられなかったことです。木宮先生の考えられていることは人間の思想としては当然で、尊重されねばならないものであり、たまさか、特殊な事情からその思想の条件から自分が洩れているからといってその体系全体を否定するのは卑怯だ、といつもどこかでわたしは考えていたのです。

 わたしのような者は何時だって自分が存在してはならないものなのに、自分を抹消する勇気がないために生きながらえている、という意識を持っているのです。おかしいでしょう、普通の人間であったら、自分が存在するのは当り前だし、だれの人生でもなく自分自身の人生であり、だからぎゃあすか文句いうな、てめえ文句あるなら表へ出ろ、といっていればこと足ります。ところがわたしはなぜか、そうはいかないのです。ちょうど招待状の来なかったパーティに出席しているときのように、おどおどした心境なのです。

 だが、わたしは、わたしを容赦なく生の場から排除しようとするあなたが好きなのです。わたしはそう簡単に排除される気もないし、また出来もしないでしょう。わたしだって必死です。必死であなたにすがりついていくのです。わたしは、あなたに、あなたのいちばん美味しいところをくれ、とせがんだりはしません。そんなことはばちのあたることです。わたしは、あなたの足の裏で踏んでもらえればそれでいいのです。そのとき、わたしはあこがれていたあなたの支配のなかに入ることができるのです。わたしはあなたに蹴られることで生きる場を得ることが出来る。そうでしょう。


 どうですか? 語り手「わたし」はこんなふうに話すんです。これではあまりに説明のし過ぎではないかと思われるでしょうか? しかし、おそらく作者はこの過剰な分析や説明がそれだけではたどり着けないはずの、もっと先の一点を見据えているんです。その一点──もしかするとひどく気味の悪いものかもしれない──を読み手に感知させるために手をつくしているのだという気がします。それに「わたし」という語り手は、実は案外に老獪な面ももちあわせる、曲者なんですね。

 さて、「わたし」のいっていることが思い出させるものにこういうのがあります。体系に押しつぶされまいとする半端者の主張ですが、

 比喩的に語るならば、それはいわば或る著作家がうっかりして書き損ないをしたようなものである、この書き損ないは自分が書き損ないであることを意識するにいたるであろう、(もしかしたらこれは本当はいかなる書き損ないでもなしに、遥かに高い意味では本質的に叙述全体の一契機をなすものであるかもしれない、)さてこの書き損ないはその著作家に対して反乱を企てようと欲する、著作家に対する憎悪から既に書かれた文字の訂正されることを拒否しつつ、狂気じみた強情をもって彼は著作家に向ってこう叫ぶのである、──「いや、おれは抹消されることを欲しない、おれはお前を反駁する証人として、お前がへぼ著作家であることの証人として、ここに立っているのだ。」

キェルケゴール死に至る病』 斎藤信治訳 岩波文庫


 ついでにいえば、これはサリンジャーが『シーモア 序章』のエピグラフとして引用してもいる文章なんですね。

 もうひとつだけ「わたし」のことばを引用しますが、

「わたしが駄目になったら、ほっとひと安心しますか」バックミラーのなかのとし子の目がわたしをしっかり捕らえながらいった。「ちょうど父の晩年を見たときのように」
「するかもしれません」わたしはいった。「多分するでしょう。それもかなり激烈なものとしてです。ですが、駄目になるなら徹底的に駄目になっていただきたい。ずっとずっと、何の益もない、つまらぬ存在になりさがっていただきたい。そうなったあなたに出会った人が、すれちがって数秒したらもう何もおぼえていないような者になってほしい。そのためには、よろこんで手をお貸ししますし、あなたの足をもってひきずりおろしもしますよ。わたしはきっと泣きながらやるでしょう」



 ところで、この小説の魅力には、「わたし」の周囲の登場人物たちの奇妙さがあって、亜矢という少女(先の「自分を完膚なきまでに支配して来た世界に対して、形態としては比較計量など到底不可能であるような微小な場ではあるけれども、その意義において充分拮抗し得るか、あるいは凌駕することすら可能であるような場を得たのかもしれない」人物です)はこんなことをいいます。

「夢の中のものをつかまえてしらべてみたいのです。たとえば、大きなたんすが出てくるとしますでしょう。それはあいまいなもので、はっきりしませんわね。つかまえて目の前にすえて錠前を外してそのなかになにがはいっているのかたしかめたいというような」「そんなことが出来るのですか」わたしは興味をおぼえながらいった。「あれはお芝居の書きわりのようなもので、うしろにまわってみるなんてわけにはいかないものでしょう」
「ええ、そうかもしれません」亜矢はうなずいた。「でも、もどかしいのです。わかっているのは、そのとき湧きおこってくる感覚だけなのですから。それはとても強いものです。身体がゆりうごかされるようなよろこびの波と悲哀の波です。それがどのようにして起こるのか是非しらべてみたいのです」


 あるいは人形をつくっている英という男がいます。いま下に引用する場面で、それを読みながら私が思い出しているのはべつの作家のつくりだした相当に奇妙な人物なんですが、

「……それにしても気持わるいな、これ」
「気持がわるければそれでいいんです」英はいった。「だってそれが狙いなんですから。今わたしは本当は生きている人間がつくってみたいんです。フランケンシュタイン博士みたいに。それもかれのやったみたいな縫目のあとだらけのじゃなくて、どこもかしこもすべすべで、考え得る最良の肉体を持った人間です。でもそんなことは出来やしません。だからまがいものをつくります。そうすると今度はどこまで本物に近づけるか、ということがおもしろくなる。この作品などまあいちばんうまくいった方で、これなら楽しめます。さらに近づいていけばなおすばらしい」英はうれしそうに笑った。「いくら近づいても命のないものに命を吹きこむことはできない。それがわかっていて近づけていく。限りなく近づいていくのにどうしても最後の溝をとびこえることができない。そのことを考えると目がくらくらします」「ああ、なるほど……」わたしはいった。
「わたしは出来たら、自分のつくったものを生きているものとすりかえてやろう、なんて考えているのかもしれません」英はいつもの人を小馬鹿にしたような笑いを口のへりに漂わせながらいった。「そして遂にすりかえそこなって神にうたれるのです。その罰を受ける感覚が快感なのかもしれない」
 わたしは顔をあげて英を見た。この男はいつになく何かしゃべろうとしていた。わたしはもう少し聞いてみたいと思った。
「ときどきやってみたくなる計画があります」英はつづけた。「人形のレベルがここまで来ましたからね。町をひとつ作ってみようかと思うんですよ。どこか避暑地の駅の近くの一画を買い切りましてね、テニスコートではゲームを楽しむ男女、自転車でかけまわる少年、人でごったがえすしゃれたパーラー、みんなつくるんです。たまさか駅を降りた者は、自分がまぎれこんでも、しばらくはそのことに気づかない……」


 スヴィドリガイロフ!(さあ、これは誰でしたっけ?)

 私の手元に雑誌「群像」の一九七九年三月特大号というのがあって、これを私は発売時に自分で買っていたのでした。当時私は十六歳でありました。普段からこの雑誌を購読していたとかいうのじゃありません。なぜかたまたま買っていたんですね。そして、この号の目玉は「長篇一挙掲載」(八五〇枚)ということでこの『野いばらの衣』だったんです。当時の私はわずかにこの小説をぱらぱらめくって拾い読みする程度でした。ただこの作品の名はおぼえていましたし、この作者の他の短編をちょっぴりは読みました。そうしてこの長編がやがて講談社の文庫に加わり、いつしか文芸文庫に収まったのも知っていました。それを買い求め、さらに時間がたち、ようやく今年二〇〇四年になって読んだんですね。いやいや、あのときの十六歳の少年がですよ、四十一歳にもなってしまっているわけです。あの「群像」を買っていなかったら、たぶん作品の存在すら知らぬままにいたかもしれないと思います。ずっと奇妙な関心が細々ながらもつづいていたからこそのようやくの読書で、しかも作品をよかったと思っている。おもしろいなあと感じます。

(二〇〇四年四月の文章に加修正)