『初めて人を殺す』

(井上俊夫 岩波現代文庫

(三)

 私のこの紹介のしかたに問題があるというのは、いろんな要素をごっちゃにしてしまっているということなんですね。井上さんの文章がそのようにたくさんの要素を含み込んでいるわけです。
 そのたくさんの要素のうちのひとつを、また別の著者の著作(これもぜひ読んでください)から引用してみます。ここに登場する湯浅という医師がどこでどんなことをしてきたひとかということは読んでもらえばわかります。

 七月、舞鶴に着き、汽車で品川に帰ってきた。一四年ぶりの帰郷。多数の迎えにもかかわらず、日本がこんなに復興している驚きとは別の、大きなショックを受けた。
 迎えの人々のなかに、もと一緒に働いた軍医や看護婦もいた。敗戦後すぐ帰国していた、ある軍医はいった。
「湯浅さん、あんたなんで戦犯なんてことに。あの戦争は正しかったなんて、言い張ったんだろう。ごまかしゃいいのに」
「そうじゃないんだ。君とあれやっただろう」
「え、何を?」
 彼は戦後一一年にして初めて、湯浅さんに言われて生体解剖を思い出したのだった。過去を見つめてきた湯浅医師と、出迎えた医師との間には大きな隔たりがあった。
 これが、北支から帰国した元軍医たちすべての姿勢だった。北支那方面軍三〇万、そこに二〇以上の陸軍病院があった。病院の軍医と野戦の軍医、あわせると数千人の軍医がいたはずだ。さらに衛生兵、看護婦が何千といる。だが、誰も一言も言わなかった。もし誰か一人でも「あんなことをしたのだから、恐ろしいぞ」と言い出す者がいれば、軍医は誰も太原には残らなかったであろう。悪業として認識していない以上、否認する必要もなかった。戦争とは悲惨なものという大雑把な弁明のもとに、記憶の一片にも残らなかった事柄は忘れ去られていたのである。

(『戦争と罪責』野田正彰 岩波書店


 あの、ひとつだけいっておきたいことは「生体解剖」ということばを「死体解剖」ということばで対比させてほしいということです。

「そうじゃないんだ。君とあれやっただろう」
「え、何を?」


 そういうことですね。で、「え、何を?」への返答にも、湯浅さんの期待したものは得られなかったわけです。

 もちろん青木は、日中戦争を日本の中国に対する帝国主義的侵略によってひきおこされたなどとは夢にも考えていない。いまでも日中戦争大東亜共栄圏を打ちたてるための聖戦だったと信じているのだ。おのれが命令した捕虜虐殺事件にしても、ちっとも悪いことをしたとは考えていない。これまた戦争につきものの、やむを得ない処置だったと割り切っているのだ。

(『初めて人を殺す』井上俊夫 岩波現代文庫


 そして今や経済大国となった日本では、こういう考え方をしていてもめったに非難されることはないし、むしろ「健全な思想の持主」として、社会や企業からも歓迎されることを従軍体験者たちは敏感に嗅ぎとっているのである。