妻とDVDで『エンゼル・ハート』(アラン・パーカー監督)を観たところ。初めてこの映画を観た妻は私がなぜこの映画が好きなのか ── 私がわざわざDVDを購入し、これまで何度も観ている ── がわからないといった。たしかに、そういい映画でもないかもしれないが、そういわれて、私は自分がなぜこの映画に惹かれるのかがはっきりわかった。つまり、私は主人公が最後に何度も繰り返す「I know who I am」に惹かれるのだ(ところが字幕ではただ「分かっている」の繰り返しでしかなく、これでは何も伝わらない)。もっといえば、「I know who I am」が壊れるシーンに惹かれるのだ。妻も観ていて、私がそれ以上に何度も繰り返し観ている映画に『トゥルーマン・ショー』がある。これも主人公の「I know who I am」が壊れる作品だ。私はずっと昔から主人公の「I know who I am」が壊れる作品に惹かれてきた。ヴォネガットの『タイタンの妖女』も『母なる夜』もまた主人公の「I know who I am」が壊れる作品だ。
ドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』でアリョーシャがイワンにいう「あなたじゃない」は、イワンの「I know who I am」の破壊だ。しかも、その破壊は『エンゼル・ハート』での破壊とはまるっきり逆方向への破壊なのだ。ふつう「I know who I am」の破壊は「悪いのはお前だ」という告発なのだ。ところが、『カラマーゾフの兄弟』においては、そうならない。この逆転こそが『カラマーゾフの兄弟』の偉大なところなのだ。
最先端=亀山郁夫訳でなく、原卓也訳の『カラマーゾフの兄弟』の読者が『エンゼル・ハート』を観れば、私が何をいっているかがわかると思う。
そうして、これはいつか書いたことのある映画『クラウド・アトラス』の「Our lives are not our own」に通じる。そういうことを近いうちに書いておきたい。『クラウド・アトラス』を初めて観るひとは最初の方での言葉「Our lives are not our own」を聴き取り、その視点でその後のすべてを観ることができれば、この映画全体のある種のわけのわからなさがそうでなくなるだろうと思う。この映画は「Our lives are not our own」が主題なのだ。そうして、なおよいのは「Our lives are not our own」と「I know who I am」の結びつきを考えることだ。
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