卑怯者=野崎歓の醜悪(2)



 そうして、野崎歓、こう書きます。

 亀山さんのドストエフスキー翻訳、および研究の際立った特徴は、アカデミックな冷静さをほとんどかなぐり捨てるような勢いで、作家の核心に踏み込むと同時に、そこに自分自身の人生の謎を解く鍵を探り当てようとするところにある。その果敢な探求において、テクストと現実、実作と研究のあいだは壁で隔てておかなければならないといった小心な発想はあっさりと廃棄されてしまうのだ。もちろん、それぞれの訳書に付された解説・注釈や、重量級の著作の数々は、時代背景に周到に留意し、先行する研究を十分に踏まえたうえで書きあげられた、堂々たる専門的成果であるに違いない。だが同時に、それがいわゆる作家研究の狭苦しい領域におさまらない、過剰なほどの熱量をたたえた「作品」になっていることは明らかだろう。だからこそ、亀山さんのドストエフスキー学は門外漢のあいだにもこれほど支持を広げていったのである。大学かいわいでは文学研究衰退を嘆く声ばかり聞こえる中、亀山さんは閉塞を突き抜けるあまりに鮮やかな例を示してくれたのだ。
 同時にそれは、研究者自身のよって立つ足場を揺るがしかねない危険な道でもある。本書を夢中で読みながら、よほどの知力と体力を備えた者でないかぎり、こんな冒険の日々を生き抜くことはできないと思わされる。しかも、こうしてぎりぎりの地点で対峙するのでないかぎり、ドストエフスキーについて実のある議論などありえないだろうとも思えてくる。小説家は、自らの「根源」をひたすら隠すかに見えて、それを作中に描き込まずにはいない。解釈者、翻訳者にとっては、それが魅力的な罠となる。彼は「いわく言いがたい悪」の予感におののき、かつ励まされつつ、どこまでも深入りしていくほかはない。
 しかも真のドストエフスキーに出会ったと思えたそのとき、作家の顔は亀山さん自身の顔に入れ替わっていた ── そんな奇怪なドラマもまた、本書のはしばしに垣間見ることができる。心優しい亀山さんが〈何十年も前に殺した人間の血を口にする〉などというおぞましい夢を見るにいたるまで、ドストエフスキーの暗黒は深く研究者を侵し続けた。とはいえ、亀山さんの議論の中核的な概念のひとつである「刺嗾」の語は、まさに作家と研究者のあいだにはたらく力関係そのものを指し示してもいるのではないか。つまりドストエフスキーが亀山さんを唆すと同時に、亀山さんもドストエフスキーを唆す。そうやって両者はたえず立場を入れ替えながら、果てることのないバトルを繰り広げているのだ。亀山さんの数々の著作は、その現場からのなまなましい報告にほかならない。

野崎歓「解説」 亀山郁夫『偏愛記』新潮文庫


 あのさあ、「亀山さんのドストエフスキー翻訳、および研究の際立った特徴は、アカデミックな冷静さをほとんどかなぐり捨てるような勢いで、作家の核心に踏み込むと同時に、そこに自分自身の人生の謎を解く鍵を探り当てようとするところにある」って何だ? 最先端=亀山郁夫の「ドストエフスキー翻訳、および研究」は「アカデミックな冷静さをほとんどかなぐり捨てるような勢い」ではあるけれど、「勢い」があるだけで、「アカデミックな冷静さ」を保ってはいるってことですか? もう一度お訊ねしますが、「アカデミックな冷静さ」は保たれていると思っていいのかな、野崎歓さん? それよりも、最先端=亀山郁夫には最初からほんのわずかでも「アカデミックな冷静さ」なんてものはないだろうと私は思いますが、次に行きましょう。「作家の核心に踏み込むと同時に、そこに自分自身の人生の謎を解く鍵を探り当てようとするところ」って何だ? 最先端=亀山郁夫のでたらめだらけの「小さい・せこい・貧しい・薄っぺらな」読解のどこが「作家の核心に踏み込」んでいるんですかね? 野崎歓さん、そう書いたからには、詳細に説明してみなさいよ! 何が「その果敢な探求」ですかね? これって、最先端=亀山郁夫のでたらめぶりをどうにか糊塗して何とか無理やり褒めようとすると、そんなふうにいうしかないってことですよね? 「テクストと現実、実作と研究のあいだは壁で隔てておかなければならないといった小心な発想」って、もう笑いが止まらないよ! 自分で何をいっているのか、わかっていますか、野崎歓さん? 「もちろん、それぞれの訳書に付された解説・注釈や、重量級の著作の数々は、時代背景に周到に留意し、先行する研究を十分に踏まえたうえで書きあげられた、堂々たる専門的成果であるに違いない」の「違いない」って何だ? 「違いない」って書けば、実際はそうでなくても、自分には責任が生じないものなあ。そういうアリバイづくりだよねえ? でも、実際には最先端=亀山郁夫の仕事が「時代背景に周到に留意し、先行する研究を十分に踏まえたうえで書きあげられた、堂々たる専門的成果で」ないことをあなたは承知していますよね。それなのに、よくもこんなことがいえたものだ! 「それがいわゆる作家研究の狭苦しい領域におさまらない」って、あんたは「研究」と称して、どんなでたらめもやっていいと、そういっているんだな? あんたもそうやっているのかな? 最先端=亀山郁夫の「過剰なほどの熱量」! いいかげんにしろよ! 「だからこそ、亀山さんのドストエフスキー学は門外漢のあいだにもこれほど支持を広げていったのである。大学かいわいでは文学研究衰退を嘆く声ばかり聞こえる中、亀山さんは閉塞を突き抜けるあまりに鮮やかな例を示してくれたのだ」って、本気でそういっているのか? 売れりゃ、それでいい、どんなでたらめでも、売れりゃ、それでいいってことでしょうが? 正直にいえよ! どうせ読者なんて馬鹿だから、翻訳なんかいいかげんでいいんだと、そういえよ! それなのに、「同時にそれは、研究者自身のよって立つ足場を揺るがしかねない危険な道でもある」って、何をびくびくしているのかな? あんたもやったらいいだろうに! 最低だぞ、野崎歓! 醜悪! 醜悪! 醜悪! あんたのような人間に私はなりたくない!

 野崎歓はここで、もうやけのやんぱちだ。沼野充義にそっくりです。ここで、沼野充義の文章をまた引用することも無駄じゃないです。

 もちろん、これまで何度も日本語に翻訳されてきた。翻訳の巨人、米川正夫による初めての完訳(現在では岩波文庫に収録)以来、最近の原卓也訳(新潮文庫)、江川卓訳(集英社、現在絶版)にいたるまで、少なくとも歴代八名の名だたるロシア文学者たちが次々に邦訳を手がけてきたのだ。しかし柴田元幸も言うように、「翻訳には賞味期限がある」。時代とともに日本語は変わり、訳文に対する読者の要求も変わってくる。また研究や批評の積み重ねの結果、テキストの読みが深まり、それを反映した新しい解釈が翻訳に求められるという事情もある。今回の亀山氏による新訳はそういった現代的な必要に応える画期的なものだ。訳文は驚くほど読みやすくなり、まるで現代日本の小説を読んでいるようだが、その一方で、作品の構造全体に対する訳者の目配りが随所に生きていて、まるで古ぼけた昔の映画がニュープリントで鮮明に蘇ったような印象を受ける。
 ただし、読みやすければいい、というものではない。また従来の訳がそれほど読みにくかったわけでもなく、私は以前の訳を四種類ほど引っ張り出して比べてみたが、先人たちの訳業の立派さに改めて感嘆した。問題は、ドストエフスキーの小説は様々な声が競い合う壮大な悲喜劇であり、妙な口癖が入り乱れた言語のカーニバルのような異様さがはたして翻訳で伝えられるかということだ。少なくともそういった側面は、あまりに滑らかなリズムの新訳からは伝わってこない。ちょうど英語圏でも長年読み継がれてきたガーネット訳(日本の米川訳に相当)に代わって、ペヴィア=ヴォロホンスキーによる新しい訳が出て話題になっているのだが、英訳では日本の一歩先を行き、原文の特性を活かそうという新たな段階に入っているようだ。
 もっとも、私は亀山訳を批判したいのではない。そもそも、読みやすい口語体が平板になりがちなのは、現代の日本語じたいが抱える貧しさの問題でもあるだろう。ともあれ、現代人が楽に読み通せる訳を作り、ドストエフスキーの途方もない世界への導き手になった亀山氏の功績は巨大である。新訳のおかげで、いまやこの十九世紀ロシアの予言者は、九・一一以後の世界の「現代作家」として新たな生を享けつつある。文学作品とは、ある言語の土壌で一度限り起こった事件だ。翻訳とはそれを別の言語の土壌でもう一度甦らせるという、もともと不可能に近い作業にほかならない。しかし、ドストエフスキー本人にも対抗できるような個性を持った稀有のカリスマ的ロシア文学者、亀山郁夫はその離れ業を可能にしてしまった。これは確かに信じがたい事件である。

毎日新聞 二〇〇七年七月二十九日 東京朝刊)


 右の文章を引用しながら、私は以前にあれこれ書きましたっけ。それで、当時は書かなかったことで、いまこの文章を読み返しながら、あらためて気づいたことを書いておきます。
 沼野充義の「新訳のおかげで、いまやこの十九世紀ロシアの予言者は、九・一一以後の世界の「現代作家」として新たな生を享けつつある」ですが、その「九・一一」について、これを思い出してもらいましょう。

 そんなことを思うようになった決定的なきっかけは、やはり、二〇一一年の大震災だった。今から考えると、起こったこと以上に怖いのは、「あれほど」のことが起こった後では人は前と同じではいられないだろう、と当初抱いた期待が見事に裏切られたという事態ではないか。復興支援のお金はきちんと使われず、地球の環境と未来の幸福のことを考えて原発を廃止しようという決断ものらりくらりと回避されつつあるうえに、「あれほど」の大事故を起こしながらこれまで原発を推進してきた頭のいい人びとのうち、誰一人として頭を丸めることも、自分の全財産をなげうって被災者のために余生を捧げようと決心することもなかった。

沼野充義「未来の世界文学の場を創る」 『これからどうする』岩波書店 所収)


「二〇一一年の大震災」=「三・一一」ですね。それと、二〇〇一年の「九・一一」です。沼野充義の口にする「三・一一」については、少し前の文章で批判しましたが、それと同じことが彼の「九・一一」にもいえます。つまり、「三・一一」も「九・一一」も沼野充義にとってはただただ自分が何かしらのアリバイをつくるための方便としての単語に過ぎないんですよ。便利な単語としてしか沼野充義には考えられていません。その単語さえ口にしておけば、馬鹿な読者がコロリと引っかかってしまうような、そういうもったいぶった単語です。
 もし沼野充義が「九・一一」や「三・一一」を真剣に考えているなら、絶対に最先端=亀山郁夫を称揚することなどできません。そうして、沼野充義が最先端=亀山郁夫を称揚しつづけるからには、彼は必ず次の、そしてそのまた次の、さらにその次の「九・一一」や「三・一一」を待望する卑怯者だということになります。
 野崎歓も同断。

(二〇一四年四月十五日)