Our lives are not our own.

 映画『クラウド・アトラス』(原作を私は読んでいません)を観ました。そのなかで、こういう台詞があります。

“Our lives are not our own, we are bound to others, past and present. And by each crime and every kindness, we birth our future.”


 あるいは、

“Our lives are not our own. From womb to tomb, we are bound to others, past and present.And by each crime and every kindness, we birth our future.”


 これが、おそらくこの作品を貫く主題なのだと思われます。

 そうして、私が思い出していたのは、私自身のこういう文章でした。

 かりに、彼らが百歩譲って、彼らのものさしが「どれだけ自己に淫しているか」だということを認めたとしても、彼らはこういわざるをえません。もし、この自分がお前のいうとおりに、自己=自分に淫しなくなったとしたら、いったい、この自分・この生きて苦しんでいる自分に何の意味があるというのか? 何のためにこの自分は存在し、生きて苦しんでいるのか? その問いは当然です。そうして、その問いに、『カラマーゾフの兄弟』に即して私が答えますが、そのあなたの人生に意味なんかありません。そもそも「意味」の意味を取り違えています。いいですか? あなた個人の「自分」はあなた個人のものじゃないってことです。あなたの「自分」はあなた個人の所有物なんかじゃないんです。あなたはあなたの人生を終えることで完結しようと思っている。自分の人生には意味があった・なかったなどを自問自答しながら。ところが、それが間違いなんです。かりにもし、あなたがいまのあなた自身を維持しながら、そのまま完結などしてしまえば、あなたは「ただ一粒のまま」なんです。あなたの人生はあなたのものではなく、現に生きている・これから生まれる・過去に生きていた誰彼のためのものなんです。そのひとたちのために、あなたはあなたがあなたの所有しているものだと思っているあなた自身を投げ出さなくてはならないんです。あなたがあなたの人生を、あなたの所有のものではない、現に生きている・これから生まれる・過去に生きていた誰彼のためのものだ、と認めて、そのひとたちのために投げ出すことができれば、あなたは「豊かに実を結ぶようになる」でしょう。あなたがあなたの人生に求める「意味」というのは、その「豊かに実を結ぶようになる」かどうかということに求められなくてはなりません。あなたがあなたの所有物ではないとあなたが知ること ── それが「一粒の麦」の「死」です。あなたはあなたの「自尊心の病」に気づかなくてはなりません。気づいて、「自分が他の誰に対しても罪がある」・「自分こそが最も罪深い人間である」と自覚しなくてはならないんです。そうして、あなたがあなたの人生を、あなたの所有のものではない、現に生きている・これから生まれる・過去に生きていた誰彼のためのものだ、と認めて、そのひとたちのために投げ出すことに、いまのあなたが考えているような「意味」を要求してはなりません。それが報われるとか報われないとかいうことを決める資格があなたにはないんです。あなたはいまのあなたの考えているような「結果」を知ろうとしてはなりません。あなたが「豊かに実を結ぶようになる」とき、そのあなたの人生は、いまのあなたの抱いている基準からすれば、徒労・無駄骨・無意味でしかないかもしれないんです。あなたには、この世界がどういうものであるか、最後まで見届けたり、決定したりする資格なんかないんです。当然ながら、あなたはイワンの望むような「報復」を望んではなりません。あなたはとにかく、自分を他の誰彼のために投げ出すしかないんです。


 しかし、映画『クラウド・アトラス』が私のことば通りのことを表現しえているかというと、おそらくそうではありません。私はただ自分のことばを思い出しただけです。つまり、映画『クラウド・アトラス』が自らの“Our lives are not our own, we are bound to others, past and present. And by each crime and every kindness, we birth our future.”を表現することに失敗したか、あるいは、この“Our lives are not our own, we are bound to others, past and present. And by each crime and every kindness, we birth our future.”をべつの意味で考えていたか、そのどちらかなのかもしれません。あるいは、まだ映画を観たばかりの私が混乱しているだけなのかもしれません。