「些細なことながら、このようなニュアンスの違いの積み重ねによって読者は、少しずつ、しかし確実に原典から遠ざけられて行く。」



 たまたま読んだ文章ですが、とても興味深い内容だったので、紹介しておきます。杉山茂樹による「W杯日本代表は正々堂々と全敗せよ」(「Voice」二〇一〇年七月号 PHP研究所)
 http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20100611-00000001-voice-pol
 http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20100611-00000002-voice-pol

◇日本のサッカーのスタンダードが上がらない理由◇
 日本代表のサッカーは、10年前に比べればたしかに強くなっているが、これは国内での話である。重要なのは世界のなかで日本のポジションが上がっているかどうかだ。
 しかし日本サッカーのスタンダードは決して高いとはいえない。原因の一つは、メディア(記者)にある。日本のメディアが世界を知らなさすぎて、日本人のサッカーを見る目が養われないのだ。
 いま日本では、サッカー中継を“オフチューブ”という方式で放送するのが一般的である。試合のある国から映像を伝送してもらい、それを日本のスタジオで画面を観ながら、インターネットなどから引っ張り出した資料によって実況・解説する。解説者やアナウンサーなどスタッフを現地に行かせないぶん、費用は安く済む。しかしこれでは、伝える側が本場のサッカーを知らないため、視聴者にも伝わるはずがない。
 また日本は、メディアが選手や監督を甘やかしすぎである。たとえば、選手は試合のあと、記者との交流の場「ミックスゾーン」を通ってバスに乗り込む。この場で選手が話をするのは当然のことで、外国では「あなた、ちょっと!」と選手をひっつかまえて厳しい質問を浴びせる。
 だが日本人のリポーターは、強引にやると、選手から嫌われるとか、インタビューしてもらえないとか、雑誌の表紙に出てもらえなくなるといった意識がある。概して「お疲れのところ、ありがとうございます」などと、監督や選手をヨイショするだけである。
 さらに、日本は世界のサッカーを観る環境がよくない。全世界の試合を観るには、スカイパーフェクTV(スカパー)などの有料放送に加入しなければならない。しかしスカパー加入者は250万人程度しかおらず、そのなかでサッカーの生中継の試合を観ている人は20人に1人いるかどうかだろう。熱烈なサッカーファン以外は、わざわざスカパーに加入してまで観ないし、若い人はそもそもスカパーに入るお金すらない。海外のサッカー中継を安価で放送している中国や香港、ベトナムのほうが、世界のサッカーに触れやすく、急速にサッカーのスタンダードが上がっている。
 だから日本では、世界のサッカーに詳しい者とそうでない者の二極化がますます進んでいる。いい例として、たとえば今回、日本代表の第3GKに川口能活が選ばれたが、NHKや民放テレビしか観ない、ふだんサッカーにあまり接しない視聴者は「この人知ってる。あの川口がまた入ったんだ。がんばって」と歓迎の反応となる。しかしサッカーに詳しい者にとっては、99%試合に出ない第3GKとはいえ、川口は長らく代表から外れていた選手であり、現在故障中の身で、 Jリーグにも出場していない選手。代表選出に疑問をもったにちがいない。
 サッカーを見る目を育てなければ、選手や監督に対しても、厳しい声を届けることができない。結果、日本全体のサッカーのスタンダードは上がらない。

杉山茂樹「W杯日本代表は正々堂々と全敗せよ」)


 なんだか既視感がありませんか?

 右の文章を少々書き換えてみましょう。

「しかし日本の文学のスタンダードは決して高いとはいえない。原因の一つは、メディア(記者)にある。日本のメディアが世界文学を知らなさすぎて、日本人の文学を見る目が養われないのだ。
 いま日本では、世界文学の翻訳を“”古典新訳”という方式で出版するのが一般的である。しかしこれでは、翻訳者が本場の文学を知らないため、読者にも伝わるはずがない。
 また日本は、メディアが翻訳者や編集者を甘やかしすぎである。たとえば、翻訳者は出版のあと、記者との交流の場「グレーゾーン」を通って行く。この場で翻訳者が話をするのは当然のことで、外国では「あなた、ちょっと!」と翻訳者をひっつかまえて厳しい質問を浴びせる。
 だが日本人のリポーターは、強引にやると、翻訳者から嫌われるとか、インタビューしてもらえないとか、雑誌の表紙に出てもらえなくなるといった意識がある。概して「お疲れのところ、ありがとうございます」などと、翻訳者や編集者をヨイショするだけである。
 だから日本では、文学に詳しい者とそうでない者との二極化がますます進んでいる。いい例として、たとえば最先端=亀山郁夫訳『カラマーゾフの兄弟』が朝日新聞による「ゼロ年代の50冊」の上位に選ばれたが、NHKや朝日新聞などしか知らない、ふだん文学に接しない読者は「この人知ってる。あの亀山郁夫大先生がまた入ったんだ。がんばって」と歓迎の反応となる。しかし、文学に詳しい者にとって、最先端=亀山郁夫ほど読解力も文章力もないでたらめな翻訳者もいない。とはいえ、本人はその選出にまったく疑問をもたなかったに違いないが。
 文学を読む力を育てなければ、翻訳者や編集者に対しても、厳しい声を届けることができない。結果、日本全体の文学のスタンダードは上がらない。」