「些細なことながら、このようなニュアンスの違いの積み重ねによって読者は、少しずつ、しかし確実に原典から遠ざけられて行く。」



 私がブログ「連絡船」上に「翻訳の問題 ── 『赤と黒』、『カラマーゾフの兄弟』」という文章を公開したのが二〇〇八年六月十九日でした。で、その次の文章 ── 七月十三日公開 ── からはもう最先端=亀山郁夫の翻訳を具体的に批判したんですね。つまり、私が真面目に最先端=亀山郁夫のひどさを批判してから、もう本当に二年が経過しようとしているわけです。二年! 当初は、まさかこんなことになるとは考えもしていませんでした。私はいま四十七歳と五か月ですから、人生の四・二%以上をこの批判に費やしていることになります。人生の四・二%! もちろん、そんなものはただの算数にしかすぎませんれどね。しかし、最先端=亀山郁夫がこれほどまでに最先端でなければ、これほどまでにひどい翻訳と解題等とを公にしていなければ、私はこの四・二%をべつのことに使うことができたんです。この二年間、私は『カラマーゾフの兄弟』のことばかり考えていて、他の読書をほとんどしていません。いや、まったくしていないといった方がいいかもしれません。その代わり、これほどまでに『カラマーゾフの兄弟』のことを考えることもなかったわけです。以前にも書きましたが、ある意味、私は最先端=亀山郁夫に感謝しなければならないのでもあります。

 もう何度も繰り返してきたので、うんざりされる方もあるでしょうが、またいいます。ここまで私が書いてきた最先端=亀山郁夫批判の文章は、三十五字×二十八行×二段×三五三ページです(単純計算で六九一、八八〇字)。一般的な文庫本の字詰めを三十九字×十七行(六六三字)とすると、一、〇四三ページ。これを四〇〇字詰め原稿用紙の枚数に換算すれば、一、七三〇枚ですよ。因みに、光文社古典新訳文庫の字詰めは、三十八字×十六行(六〇八字)ですから、それの一、一三八ページ分。最先端=亀山郁夫訳『カラマーゾフの兄弟』の第一巻は四四三ページ。第二巻は五〇一ページ。第三巻は五四一ページ。第四巻は七〇〇ページ。第五巻が三六五ページ。総計二、五五〇ページ。その三十二%分を私はこの二年間で書いてきたわけです。さて、最先端=亀山郁夫訳『カラマーゾフの兄弟』全五巻を揃えている不幸な・あまりにも悲惨な読者は、あなたの本棚を見てください。ここまでの私の批判文章は、あなたの大事に収蔵しているこの翻訳の第一巻と第二巻とを合わせたより長いです。第二巻と第三巻とを合わせたより長いです。第三巻と第四巻とを合わせたよりは短いですが、第四巻と第五巻とを合わせたよりは長いです。まあ、ほぼ第一巻と第三巻とを合わせたのに等しいくらいの分量ですね。まだまだですか? いや、真面目に思うんですが、この最先端=亀山郁夫批判の文章はいずれ、全五巻をも凌駕する分量になるんじゃないでしょうか? ということは、あと原稿用紙二、一四六枚分書けばいいのか。あはははははは。