「間違った二者択一」


 たまたま目にした文章 ── この作品の全体を私は読んでいません ── ですが、引用しておきます。

 言うまでもないであろう。ロジオン・ラスコーリニコフとの出会いは、少年時代のもっとも重要な出来事のひとつであった。いや、何歳であろうと、注意深い読者なら、若いラスコーリニコフがその途方もない行為と、そしてまた ── もっと痛切に、もっと胸苦しく迫ってくるのだが ── 彼の混乱を反映する、見た目は仮借なく厳密な論理とによって呼び起こす圧倒的な印象から、逃れることはできないであろう。彼が求め、語り、行い、そして行わなかったことすべてに、私は強い関心を抱いた。しかし、私は彼が好きではなかった。彼の殺人に嫌悪した。この小説は私に、きわめて危険な誘惑のひとつである間違った二者択一に対するたえざる警告を与えてくれたのだった。そして、この警告のとおりだ、と痛感したことが一度ある。政治の領域においてであった。とくに困難な時期で、両方の側から間違った二者択一を迫られ、それを拒否することがほとんど不可能に見えたのだった。

(マネス・シュペルバー『すべて過ぎ去りしこと……』 鈴木隆雄・藤井忠訳 水声社