私の体温


 私が靴下を履くのは左足からだ。私が靴下に左右がある ── そもそも左右に応じた形態の違いがあるのかもしれない(いまだに確かめていない)が、ともかく、メーカーのロゴがそれぞれの片側にしか刺繍されていなくて(両側にされているものもある)、それらが履いた足の外側に来なくてはならないらしい ── のを意識しだした(妻に指摘されて)のはこの数年前からで、それまではおそらく正しく履いたにしても偶然にすぎなかったのだ。
 あるとき、私は左足に履いた靴下が右足用のものだったことに気づいて、それを脱ぐと、右足に履いた。そのとき私が小さく驚いたのは、その靴下がすでにぬくもりをもっていることだった。もちろん、それは十数秒前までの私の左足のぬくもりだった。私にはこれが意外だった。
 ぬくもり ── 私の体温。
 どこかで誰かと席を替わる ── すると、私はその席にいままで座っていた誰かのぬくもりの残っていることを意識する。そうして、ずいぶん長い間、私はこう思ってきたのだ。その逆はありえない ── 私の座っていた席に座ったひとが私の体温による席のぬくもりを感じることはありえない。なぜなら、私はあまりにも痩せており、席に残せるほどの体温の放出もないだろうから ── と。
 しかし、そういうこともないらしいのだ。
 誰にも信じてもらえないかもしれないが、私にとって、これは実に驚くべきことだ。
 だから、私は、自分の他人に対する態度を改めなければならないのかもしれない。私は自分の体温が、他の誰彼に影響を及ぼすことなどない、と思ってきたのだ。それが違うのかもしれない。私は怖くてしかたがなくなってくる。
 その私はすでに四十七歳だ。