(二一)「些細なことながら、このようなニュアンスの違いの積み重ねによって読者は、少しずつ、しかし確実に原典から遠ざけられて行く。」その一二



いま、『死に至る病』の終わりの方をぱらぱらとめくっていて、目についた文章があったので、引用しておきます。

 躓きの最低の(人間的にいえば、最も無邪気な)形態は、キリストに関する全問題を未決定なままに残しておいてこう判断するものである、── 「私はこの点に関してあえていかなる判断をも下さない、私は信仰もしないが、判断を下すこともしない。」これが躓きの一形態であることを大抵の人は看過している。


「私は亀山郁夫訳『カラマーゾフの兄弟』に関してあえていかなる判断をも下さない、私はそれをいいともいわないが、悪いともいわない」── これが躓きの一形態であることを大抵のひとは看過している。


 次の原稿のUPはまだしばらくお待ちください。毎日書きつづけているんですが、終わらないんです。