(二)


 ほぼ二か月前に「はじめに」の改稿を終えて、それでもまだまだ自分のいい損なったこと・いい足りないこと・いいえなかったことの多さを感じています。もしかしたら、この先も私は延々改稿しつづけていくことになるのじゃないかという予感があります。しかし、私がいまそのように感じていることはむしろよいことかもしれません。
 ここしばらくでも、ある出版社の営業が、すでにとてもよく売れているある本(大手企業の経営者の著作)への広告に使いたいということで、いろんな書店員からのコメントを集めている、ついては私にも参加してほしいといってきました。私がその本を読んでいないというと、いまここに用意しているので、差し上げる、とのこと。私は断わりました。そんなものは読みたくもない、また、そんなものをすでに大勢のひとが読んでいることにあきれてもいましたが、たくさんの書店員たちがこの企画にやすやすと参加することになるのだろうと考えて暗澹としました。
 また、ある取次の発行している書店向け雑誌の編集者が、「書店員による手書きPOP」に関しての特集を組みたい、ついては『白い犬とワルツを』の仕掛けを行なった私に取材したい、といってきました。私は、すでに自分の勤める書店でPOPを書いていないこと、それゆえ ── 私の考えかたは一貫してはいるけれども ── 現在私の勤めている店の看板で数年前のような発言のできないことを話し、断わろうとしたんですが、いくらか粘られもして、それではということで、「はじめに」の原稿を送りました。ちょっと笑ってしまいますが、あの原稿は文庫本のページ数に換算すると一〇〇ページ以上あるんですよね。それをいきなり読まされるというのは、やはり大変だろうなと思いはするんです。とにかく、それを読んでもらったうえで、なお依頼があったので、私は自分の勤める書店の名前を出さないという条件で、この仕事を引き受けることにしたんです。
 そこで、あらためて、「はじめに」での私の主張をかいつまんでいってみようと思います。
 私はいまの大多数の読者の読みかたを批判しました。その読みかたに迎合・追随する書店員を批判しました。で、もしかすると、その読みかたをつくりあげているのが他ならぬ書店員なのではないかという疑惑を抱いているといいました。これは作家(ひいては出版社や取次)にもいえることで、いまの大多数の読者に迎合・追随している作品 ── 実は「作品」などとはとてもいえないもの ── を書いている(発行している・流通させている)だろうという批判をしました。その批判の支柱となるのが、「作品は読者のためにあるのではない。作家のためにあるのでもない」ということでした。「作品というのは自立したものであって、それを読んだときの感動というものは、読者が作品の位置にまで上がっていってこそはじめて得られるもので、作品を読者の位置にまで引き下ろしたときに得られるのではない」ということです。そのために「背伸び」をした読書が必要だということをいったわけです。
 そこで、その「ある取次の製作している書店向け雑誌」で ── 書店員が読むことになる ── ということは、結局書店員に向けて、ということになります ── 私になにかいいうることがあるとしたら、提言としてこうなります。全文(結局私の「寄稿」という形になりました)を引用します。

 ベストセラー『白い犬とワルツを』の仕掛け人といわれていて、現在一枚のPOPも書いていない私、木下和郎個人から、現在POPを書いている書店員に提言します。
 書店員が自分の読書の感動を「みんな」に伝えるためにPOPを書く ── といいますが、現在のその読みかたには最初から「みんな」が入り込みすぎているのではないか? あなた自身の孤独な読書はどこにあるのか? そもそもあるのか? なければならない ── ということでの提言です。
①「多読」・「速読」・「新刊チェック」の読書をきっぱりやめる。特に、今後三年間は日本人作家の新作を読まない。いまの自分には手に負えないほどの本だけを読む。「みんな」の読んでいる本を読まない。
②出版社がもちこむ新刊のゲラを読まない。もし読んでしまったなら、はっきり自分の意見を告げる。出版社とあなたとは対等です。絶対に卑下した・自信のない回答はしない。駄作は徹底的に駄作といいましょう。
③十年後にもひとに薦められる本や、十歳年長のひとにも薦められる本にしかPOPを書かない。「今年のベスト」なんていう視点は軽蔑(そういう出版社のお手軽なアンケートは拒絶)してください。常にあなたの「オールタイムベスト」です。
④いまの売れすじや「みんな」を離れて、読者が自分ひとりかもしれないという本にこそPOPを書く。偏向と、それにともなう孤独を恐れないでください。新しさ大きい部数でしかものを測れないひとたちを軽蔑してください。「みんな」が動きだしたら、何かが間違っています。「手書きPOPからベストセラー」は矛盾です。あなたがPOPで訴えるのは「みんな」ではないごく僅かなひとたちにです。そしてそれも、なにより、あなたが行動しなければ死んでしまうだろう本のためにそうするんです。
 あなたの根底に核として、まず、そういうPOPが想像されなければなりません。
「それじゃ、POPなんて一枚も書けないよ」というひとは、安心してください、もう全然書かなくていいんですから。

(「しゅっぱんフォーラム」二〇〇七年五月号 トーハン


 ここでもう一度、トーマス・マンからの引用。

 ……わたしは一度「しばらく真面目になってみてはいかがでしょう」と提案した、真理は、苦い真理ですら、間接的にではあるが長い間には、真理の犠牲において共同体に奉仕しようとする思想よりも、共同体にとって役立つのであって、真理を否定する思想は実際には真の共同体の根柢を内側からこの上なく無気味に崩壊させるのだから、共同体の危機を深く憂慮する思想家は、共同体ではなく、真理を目標とした方がよいのではなかろうかということを、しばらく真面目に考えてみようと言ったのである。しかし、わたしは生涯においてこれほど完全になんの反響もなく黙殺された言葉を言ったことがない。

(『ファウストゥス博士』 円子修平訳 新潮社)