私は、奥底の自己が『おれの個性が消えてなくなってたまるか、消えてなくなりはしないぞ。』と力んでいるのに気づき、愕然として不愉快になった。もしも今日より私が、このような理念に従って生きて行なって動くことを欲するとすれば、世界現実にたいする過去何年来の私の考え方・やり方は、相当の転回を必要必然とするのではなかろうか。


「いったいもうすこしはましなものを想像できないんですか、いくらかでも救いのある、まっとうなものを!」病的な感情につき動かされて、ラスコーリニコフは声を高めた。
「まっとうなもの? だって、これこそまっとうそのものかもしれんじゃないですか、それに、私はわざとでもぜひそうしたいんですよ!」スヴィドリガイロフは、曖昧な微笑をうかべながら答えた。


 私たちはこの話をくわしく話すことにしよう。精密かつ徹底的に。 ── なぜなら、ある話についやされる時間と空間とによって、その話が短く感じられたり、長く退屈に感じられたりすることが、かつてあったろうか。むしろ私たちは、くどすぎるわずらわしさをおそれずに、徹底的な話し方こそ、ほんとうにおもしろいのだという考え方に味方をするのである。

(トーマス・マン『魔の山』 関泰祐・望月市恵訳 岩波文庫



(一)「こういうもの」

 数年前 ── というのが、おそらく十年に近いくらいの前になりますが ── 私の父を彼の小学校の同級生が訪ねてきました。父は一九三一年生まれで、そのときふたりは六十代後半であったはずです。父の友人は小売店を営んでいたのを息子に継がせたのだったか、そのようなことで、用件を済ませての雑談のなかで、彼は部屋の壁ぎわにあったオーディオ・セットの上に乱雑に積まれた大量のCDの表題を見やりながら、父に「きみもこういうものを聴くようになったのかい?」と訊ねました。「こういうもの」といって彼が最も注目していたのは、そこにも一緒に置かれていたELOやXTCやデヴィッド・ボウイなどではなく、クラシックのもので、しかもベートーヴェンブラームスワーグナーというよりは、特にマーラーの全交響曲のCD(バーンスタインの二度目の全集のすべて、とその他の指揮者何人かの数枚)だったらしいんですね。父は「いや、ここにあるものはみんな息子のだ」と答えました。それで父の友人は私の年齢(一九六三年生まれ)やらなにやらを訊いたようなのですが、彼は「いや、私はその年齢でマーラーを聴くのはよくないと思う。私はようやくいまの年齢になって聴きはじめて、魅力も感じているのだが、息子さんがこういうものにいますでに耽溺しているようなら(しかも、このCDの様子から、昨日今日聴きはじめたのでもないだろう)、私はどうしても彼を信用に足る人物と思うことはできなさそうだ。たとえば、私に娘がいたとして、きみの息子さんと結婚したいといってきたとすると、それを認めるわけにはいかないだろうなあ」というようなことをいったらしいんです。それを後で父が私に話したわけなんですが、私には父の友人がなにを感じたのか、すぐにわかりましたし、それは実にもっともなことだと思いもしたんでした。その通りに父にもいいました。で、私は結婚前に、妻にもこの話をしたんです。彼女がそれで、この話をどう理解したのか私にはわかりませんけれど、とにかく話しましたっけ。
 ── と、いま私がこう書いても、読んでその通りだとうなずくことのできるひとの少なそうなことは予想できます。
 私はマーラーの曲をたぶん十歳くらいから(ベートーヴェンモーツァルトを聴きはじめるのとほぼ同時期から)ずっと ── かれこれ三十年以上 ── 聴きつづけています。それだけの年月でさえ、あまり出会うことのないクラシック好きのひと(しかもマーラーが好きだというひと)にそういって、ひどく驚かれたこともあります。そこで、私は、多くのクラシック愛好家 ── もしかすると、ある年齢以上の、と限定をしなくてはならないかもしれませんが ── にとってマーラーという作曲家がどのような位置づけであるのかを逆に理解する(つまり、彼らにとってマーラーとの出会いがどれだけ特別なものであったか)ことにもなるんですが……。
 このことが、私がこれから書きつづけることの主題のひとつになるだろうと思っています。

 また、先日偶然にも、私が日中に考えていた ── どうして考えていたのか、思い出せませんが ── 永井均のある文章のことを、妻(彼女自身はこの本を読んでいなくて、私がこの文章のことをかつて妻に話したことがあるんです)がまさにその夜に話しかけてきて ── それが私を批判するために、だったかどうか、そうじゃなかったと思います ── 驚いたんですが、当の文章を引用すると、

 みんながはじめからいわば体で知っていることを、ぼくは頭で考えて理解しなければならなかった。たとえば、教習所ではけっして教えてくれないが、制限時速が三十キロの道路では四十キロぐらいで走るのがふつうのようだ。たぶんそれと同じように、道徳なんてものも、あらかじめ少し高めに設定されていて、それに杓子定規に従ったりしてはいけないのだ。そしてどういうわけか、みんなそのことを知っていて、杓子定規に従ったりはしない。その方が正しく、善いことなのだ。いつも道徳は何を要求しているかを考え、それに従わねばならない、と考えるのは、ほんとうはまちがっている。道徳自身はそうしろと言うし、カントのような哲学者もそう主張するけれど、ほんとうはそうしてはならないのだ。そんなことをするのは、むしろ道徳的狂気とでもいわれるべきまちがったありかたなのだ。
 まったく不思議なことだが、学校で習ったわけでも、親に教えられたわけでもないのに、ふつうの人はこのことをはじめから知っているらしい。いつも道徳的に善いことをしなくてはいけないなんてことはないし、いつも道徳的に悪いことはしてはいけないなんてこともない、むしろ逆に、いつも道徳的に善いことばかりしようとしたり、けっして道徳的に悪いことはしなかったりすることはおかしなこと、変なこと、だからいわば悪いことなのだ。そんなことだれも教えてくれなかった。それなのに、みんな当然のように知っていた。ぼくは一人でそれを考えて、付加的な規則として、道徳の欄外にあからさまに書き込まなくてはならなかった。

永井均『〈子ども〉のための哲学』 講談社現代新書


 これも私の主題につながるはずです。

 もっとも、私はここで書きつづけることの全体を自己紹介に費やすつもりではないんです。

(二〇〇七年二月二十七日 改稿)