『10代をよりよく生きる読書案内 海外編』をめぐって東京書籍とやりとりをしているうちに、ほぼふた月が過ぎてしまいました。最後に私からメールを送ってからも、すでにひと月。とはいえ、すでに「やりとり」は途絶えているでしょう。東京書籍からは「回収」についての返事がありません。彼らは「回収」しません。つまり、こやま峰子によるあの数ページの文章が、訂正は必要だけれど「回収」に値するほどにはひどくはないということなんでしょう。ひどいと思いますけどね。それに、今後訂正がなされるにしても、最先端=亀山郁夫訳を推すことに変わりはないんでしょう。そういうものだ

 いや、もしかすると、この現在も彼らは「回収」について社内で議論しているのかもしれません。そうだとしても、それは彼らが今回の問題を過小評価していることの証左に他なりません。ま、いまだに議論などしているわけもないでしょう。そういうものだ

 こうしている間にも、こやま峰子のあの馬鹿な文章を読む「10代の人たち」があるでしょう。彼らがどこでそれを読むことになるか? たとえば学校図書館。回収されない限り、日本全国の中学生・高校生は今後もずっと、学校図書館であの文章を読み、『カラマーゾフの兄弟』についての予断を持つでしょう。「10代の人たちに書物の広大な世界を伝え、読書の楽しさを伝えることを主眼とし」、「海外の翻訳作品および、国内作品が今後も広く読み継がれていくことを願って」いるなどと口にする東京書籍は、もちろんそのことを承知しています。承知して、なお回収はしない。 そういうものだ

 さて、日本全国の学校図書館に勤務されている方々に申し上げます。あなたがたの職場の書棚に収まっている『10代をよりよく生きる読書案内 海外編』は、ただちにゴミ箱に捨ててください。絶対に生徒の目に触れさせてはなりません。そうして、東京書籍に抗議の電話をかけてください。気骨のある先生がたに期待します。

 もっとも、私はこう思ってもいるんです。『10代をよりよく生きる読書案内』なんていうタイトルの本を真面目に読むような中学生・高校生がもしもいるなら、そんな中学生・高校生は望みなしですね。ろくな大人になりません。そいつらは、ただお勉強として、先生に気に入られるよい子の読書をしたいだけです。そうして、まともな読書のできる中学生・高校生ならば、そもそもタイトルに反発を覚えるでしょうし、一種侮蔑的・反抗的な意図 ── さて、大人たちは、この自分に何を読めといっているのかな? ええ? ── でしか内容を読むことはないのじゃないでしょうか? そういう十代の読者こそが私の希望です。

 だったら、訂正も回収も必要がないじゃないか? ── ですか?

 いいや、訂正も回収も必要です。なぜなら ── ここで私は「10代の人たち」を離れて一般論を口にします ── 、どれほど低レヴェルの読書しかできない読者にせよ、彼らにも常に本物の・真性の本が与えられるべきであって、でたらめや偽物やクズが与えられるべきではないんです。どんな読者にも、本物の・真性の本が与えられるべきなんです。

 どれほど低レヴェルの読者にも、最先端=亀山郁夫訳『カラマーゾフの兄弟』は与えられるべきではないんです。彼ら自身がどれほど歓迎しようとも、です。最先端=亀山郁夫訳『カラマーゾフの兄弟』が偽物であり、クズだからです。

(二〇一〇年五月二十七日)